▽ story

まほろば
私の口からは、言葉になる過程を辿っていたのであろう、ささやかな音しか出なかった。
私は人の悲しそうな顔が苦手である。その人の目の前に居るのが私であるのに、解決策を考えている間に相手は何事もなかったかのように笑うのだ。辛さを押し殺したまま、思いの丈を封印して。
親しいもの同士が言う、"なんでも正直に言ってね"などと所詮建前でしかないのだ。本当に言いたいことなど何かのきっかけが無いと言えるはずもない。
それが、今、その瞬間に私が居るのも事実である。
目の前の男は、確かに言った。私のことが好きだと。聞き返すまでもなく、率直かつ簡潔に述べた。
薄暗い倉庫の奥まった場所に2人、何かの機材を挟んで向かい合っていた。大方テレビ特番用に使うプロジェクタの機械であろう。一度電源を入れれば忙しなく動くのだろうが、必要としていない今、ひっそりとその図体を横たえるだけであった。こんな埃が被るような陽の当たらない所など、花形ヒーローがくる場所でも無いだろうとアキはどこか冷静な面持ちでバーナビーの顔を見た。アキの言葉を待つバーナビーは今にも泣きそうな顔をしていた。次にアキの口から出るのは肯定か否定か─。どちらにせよ、アキは予想外の出来事ではあったが、驚きで口が聞けないのではなかった。本来なら異性に告白をされたのならば、胸の一つでも高鳴るものなのであろうが…。
アキは兎に角冷静であった。彼女自身はその性格を冷めていると表現をする。何に熱を入れるわけでも無いが、かといって卒無く何事もこなしてしまう自分自身に嫌気がさしていた。
*
… こう言う時は、正直何と言っていいのか分からない。バーナビーを傷つけたい訳では無いし、バーナビーを嫌いなわけでも無い。むしろ、尊敬の念すら覚えていた。我を忘れるほどの執着。熱意などとたった二文字で表すのが気が引ける程の。だから、私は余計にバーナビーの真摯な目を見ることが躊躇われた。少しでも、想いを想いで返したい気持ちが伝わってくれればいいと願いを込めて目線を外すことだけはしなかった。
「私は…、私もバーナビーが好きだと言いたい。だけど、私はあなたが私を想うよりもずっと、何処か冷静なの。
…冷静なんてただの保身だと思う。だけど、本気になれない。あなたが私を好きだと想うのと同じくらいには私はあなたに何も返せない」
自分が誰かを好きになることが出来るほど、自分のことが好きになれなかった。自分が自分の良さを分からないまま他人に好意を持たれても、相手をその分愛することが出来ないような気がしていた。”私の何を知っているの?”端的に言えばそういうことであった。自分を好きになれない自分が他人を愛する資格すら無いのだと、そう考えていた。
しかしなぜだろう。こうもその考えを、私の信念を覆しそうなくらい、大きな、温かい言葉。素直に言えば、嬉しい。とても。私の本質が分からなくても、必死に私を見てくれているバーナビーの姿が、とても愛おしい。
「それでも…!人を想う事なんてただの自己満足です…!仮に僕の一方的な物になってしまったとしても、アキさんが受け入れてくれるのなら…!」
それでもいい、と言った声は震えていた。
到底、私がバーナビーを同じくらいに好きになるまで待ってて、などと都合のいい事は言えなかった。
普段は意識をしない自分の呼吸音が大きかった。意識をしないと息を吸って吐くことが難しく思われた。本当は下を向いていたかった。バーナビーの眼に負けそうだった。どんなに嬉しくても、自分の保身を意地でも守ろうとする私の滑稽な姿。それでも、その保身が無くなってしまったら私は私でいられない。何にも執着しない私。何にも執着しない私に執着することが私の強みだったから。
「…僕のことをアキさんが好きと言う結果なら、それまでの保身とか、不安だなんてどうでもいいじゃないですか
そんなのが無くたって、アキさんは、アキさんです…!」
本当は、一番欲しかった、その言葉。
自分を否定し続けた私に、誰も掛けてくれなかった、私を認めてくれる言葉。
眉尻が下がる。せり上がる気持ちを抑えるためには、何か口に出さなくては止められなかった。だけれども、言葉が出ない。喉元を何かで締めて声を出せなくされているような。
『ありがとう、
すき』
唇だけで、そう話した。
気づけば私はバーナビーの腕の中だった。バランスを崩して思わずプロジェクタの上に手をつく。バーナビーがプロジェクタの上に乗り出すと、私の肩と腰を固定するように抱いた。私の肩に額を乗せる。横顔を盗み見ると、何かを祈るように必死に目を瞑っていた。
そろそろと、バーナビーの耳に触れてみる。形の良さが指を通して伝わった。バーナビーがくすぐったそうに身震いする。私がバーナビーに触れるたびに、バーナビーは嬉しそうな吐息を漏らした。片手はバーナビーの脇腹に添えると、私を抱く手が一層強くなった。
…温かい。バーナビーの呼吸に被らないように息をする。私も目を瞑って、しばらくお互いの存在を確かめていた。
いくらの時が過ぎただろうか。目元の涙もいくらか乾き、バーナビーの愛をなぞることが出来るまでの余裕さえ感じていた。バーナビーが1つ息をつく。一拍あけて私を拘束する腕をといた。形容しがたい寂しさを感じる。
目と目が合う。今までの仕事仲間を見る目から、愛しい人を見る目。私も、彼も。
何も言わずに、自然と顔が近づく。目を瞑りかけたバーナビーを尻目に、私も目を瞑った。バーナビーの息が届く。
バーナビーの柔さが私を、芯から溶かしてゆく。