▽ story

CATCH HEART IN MY EYE
ヒーロー達と交流を始めて数ヶ月。アキ自身は彼ら達と随分と仲良くなったつもりであった。いくらそこにスポンサーの違いを背景としたライバル意識がヒーロー達にあろうとも、根本的には人々を助けるという意識が共通していた。そのお陰で、世間一般に言う”仲が良い”とは多少違ったニュアンスにはなるが、雰囲気は良好なヒーロー同士のコミュニティが築かれていた。アキはヒーローではなく、彼らの健康管理を目的とした役職についている。彼らとの直接的な仕事が多いために、彼らの輪に自然と入る形になった。彼女もまた、心のどこかで彼らと結びついていたいと思う程に、輪を居心地の良いものとしていた。しかし、アキには一つだけ普段気になっていることがあった。
「…どうしてもイワンは私の目を見て話してくれないのよねー…」
ふう、と吐かれたため息に答えたかのように、アキの目の前に座っている虎徹も息を吐いた。昼だというのに曇り空のせいで店内に入ってくる光量が少ない。店内にも照明は十分なくらいに設置されているのだが、窓際ということもあり、嫌でも視界に入る厚い雲がアキの気分を陰鬱なものにさせた。
「折紙の性格も分かってんだろ?見たくなくて見てないわけじゃねえんだ、そっとして──」
「それに、目を見てくれるどころか、どこか私に対して反応が薄いような気がする」
「ああ、そりゃ折紙はお前に対して照れ──」
「虎徹さん!」
虎徹が言い終わる前にバーナビーが横槍を入れた。虎徹の右隣に座るバーナビーは思わず、”喋ったら駄目です”の意味を込めて人差し指を口元に立てる。アキはその動作に対して些か不信感を抱いたが、取り立てて追求してもしょうがないだろうと自分自身を納得させた。アキの頼んだアイスコーヒーのグラスが重力に耐え切れないほどの水滴を作る。グラスの底を囲むようにして出来た水たまりは、アキがグラスを持ち上げたことによって壊された。ちびちびと舌に広がるだけのコーヒーを啜る。つまらな気な表情を見せるアキに虎徹が口を開いた。
「別に折紙もアキの事は嫌ってる訳じゃねえって、だから、な?」
「嫌われてるとは思ってないけど、さ」
気にすることはないという意味を含めて虎徹は語尾を曖昧にまとめた。アキも虎徹たちに納得したような態度を見せたものの、心の奥底では、未だ虎徹たちの煮え切らない態度に不信感が残っていた。心理学も健康管理士の嗜みの一つとして学生の頃に専攻していたアキは、(直感と)挙動から、彼らは嘘はついていないが知っていること全ては話していないことを読み取った。それが余計にアキを面白くなくさせていた。
「…帰る。今日はありがと」
「え、ああ、お気をつけて」
静かに椅子を引き、傘とカバンを手に取ると、アキは席から立ち上がった。バーナビーの手の近くに置かれていた伝票を、細い指でつまみ上げる。バーナビーの横を通り過ぎるときにアキは、二人にかろうじて聞こえるくらいの声量で告げた。
「じゃあ、私が何とかしてみせるまでよ」
アキが支払いを済ませ店を出た途端、タイミングを図っていたかのように大粒の雨が降り出す。シックなベージュ色の傘を広げ、家路を歩く。
イワンのアキに対する態度が異様に気になってしまい、”気に入らない”のはどうしてだろうとアキは疑問に感じていた。ちゃんと人の目を見て話すのが当たり前だという倫理的な問題ではない。素のイワンは自分自身に自信がないこと、人と込み入った接し方が苦手なのは分かりきっていたはずだった。だけれど、イワンに目を見てもらえないこと、返事が淡白だということに不快感を感じるというよりかは、どこか寂しい気持ちがあることにアキは戸惑っていた。 彼女はまさか、と思うより先に1つの考えを拭い去る。嫌でもまとわりつくその思考を流すべく、傘を打ち付ける雨の音に集中した。
*
「イワン、ちょっと」
「な、なんでしょう」
呼び止められたイワンは、傍目からでも分かるくらいに肩をビクつかせる。昨日の喫茶店でのやり取りをしていた虎徹とバーナビーの二人は、アキがイワンを呼んだ声に反応する。トレーニングをする手を止めるまではいかないものの、完全に意識はアキとイワンに持っていかれる。昨日のアキが去り際に言った台詞がどういう展開をもたらすのかがどうしても気になってしまう二人であった。
カルテを片手に、近づく。タオルをベンチに置いたイワンの真正面に立つと、カルテを見せながら、一言二言、健康調査についての結果で気になったところを告げる。最後に、とアキはイワンに強調してみせた。
「何か私の事で気に入らないところでもあるの?目くらい見てくれてもいいと思うんだ」
出だしが強い口調になったことを言葉の途中で反省したアキは、その代わりに語尾を出来るだけ柔らかくした。しかし、イワンは目を泳がせ、口を固く結ぶ。顔も下を向いているが、イワンより身長の低いアキは、容易に顔を覗き込むことが出来る。イワンはアキが顔を覗き込もうとする度に顔を明らか様に逸らそうとするが、意地でも目を合わせてやろうという闘志に火がついてしまったアキであった。どうしても目が合わないことに痺れを切らしたアキは、カルテをベンチに置くと、イワンの頬を両手で包み、固定する。
「な、ななななにしてるんですか…!」
「イワンが私のこと見ないからでしょ!離して欲しければ私の目を見なさい!」
「…うぅ…」
一気に耳まで顔が赤くなるイワン。両手を通じて、アキにもその温度の高さが伝わっていた。顔は自分の方に向いたものの、未だに目を泳がせているイワン。無理矢理にでも目線が会うように自分の顔に近づけるためにイワンの顔を引く。体制が崩れそうになったイワンは、アキの肩を支えとした。アキの肩より大きな手が、華奢なそれに触れる。更に動揺し、眉を八の字にしたイワンが、震えるように大きな息をついた。
「は、恥ずかしいんです…。目を合わせるのが…」
「何で恥ずかしいと思うの?」
「そ、それは…っ」
「いいから、一瞬でもいいから」
イワンは決心したかのように、再び大きな息をつき、震えを限りなく抑えた。乾ききった眼球を潤すべく、ぎゅう、と目を強く瞑る。恐る恐る開いた先には、アキの顔があった。顎から鼻、そして鼻から彼女の目へと視線を辿ると、ぴったりと視線が合う。一瞬だけでもいいと言われたはずなのに、視線をそらすことが出来ない。一体どのくらいの時間見つめ合っていたのだろうか。時間的には数分、いや、数十秒かもしれないというのにイワンには酷く長く感じられた。果てしなく漆黒の、形の整った大きな瞳に吸い込まれそうだと、少しだけ恐怖を覚えた。
「よく、できました。もう大丈夫でしょう?」
アキの一言で、魔法が解けたようだった。はっ、と我に返ったイワンはしばらく息をするのも忘れていたかのように、肩で息をする。
突然アキの手が伸びてきたかと思うと、イワンの頭を撫でる。彼は緊張から解かれたのと、アキの手の心地よさから目を細める。
──、ああ、もう、僕は本当にこの人のことが…
満足したのか、イワンの頭から手を離してカルテを拾い上げ、作業室に戻ろうとしようとするアキ。イワンの、待ってください、の一言に足を止めると、彼の方に再び身体を向けた。
「アキ、さん…、あの、僕、アキさんに言いたいことがあるんです。仕事が終わったら…、駅の、喫茶店に来てください…。 僕、待ってますから」
顔を再び真っ赤にさせたイワンが精一杯に言う。出来るだけ目はアキの双眸へと向ける。アキの大きく見開かれた目が、次第に通常の大きさに戻る。愛おしいものを見るかのような眼差しでイワンを見つめ返す。
「いいよ、じゃあ、早く仕事終わらせなきゃね」
去っていく背中に、大きな安堵の溜息を吐きながら、イワンは項垂れた。その場にしゃがみ込むが、足が震えている。息も荒い。心臓の鼓動も、未だに早い。イワンの側では虎徹が囃し立て、カリーナが頬を染めながら何かまくし立てるが、顔を膝に埋めたイワンにはアキの笑顔の残像しか見えていないのであった。