Silvia

story


僕たち、上手な愛し方なんて知らない。

「花火大会に行きたい」

 午後10時。急に足立さんから電話があったと思うと、明日開催される花火大会に行きたいとの打診があった。足立さんから電話だなんて珍しいものだと思ったが、計画性の無さと突拍子もない所は相変わらずだ。と言いつつ、暇を持て余していた私は断る理由も特に無くOKの返事をしたのだけれど。明日の18時、足立さんが車で迎えに来てくれるまで何をしていようか。浴衣は着て行ったほうがいいのだろうか。そんな考えで頭の中をぐるぐるさせながら、電話を切った。
足立さんが花火大会だなんて、俗なイベントに参加したがるのだなあと意外な一面を垣間見た気がした。




 インターホンが鳴る。それを合図に二階の窓から顔を出すと、浴衣を纏った足立さんが運転席から出てきた。足立さんにギリギリ聞こえるかくらいの声量で名前を呼ぶと、へらりとした笑顔を向けて手を振ってきた。頼りない歩幅で急いで玄関へ向かう。ドアを開けると、目の前には紺色の布地に竹とすすきの模様が入った浴衣を着ている足立さんがいた。つま先から上へと凝視すると、得意げな顔の足立さんと目が合う。

「似合うでしょ?いやあ、ジュネスで特売しててさ、衝動買いしたのはいいんだけど着ていく機会がなくてね」
「…花火大会がメインっていうよりは浴衣着たいだけなんじゃないですか」
「そんなこと無いよ?かき氷だって楽しみにしてるし」
「まさに花より団子、って感じですね足立さん…」

足立さんに助手席側のドアを開けてもらい、乗り込む。センスの悪い芳香剤の匂いが鼻孔をついた。会場となる河川までおよそ30分。その間、話題に上るのは足立さんの仕事の愚痴と鳴上君たちの事が中心だった。正直、本来ならいい雰囲気になるであろうシチュエーションで現実に引き戻されるような話題はごめんだと思ったが、相手が足立さんだということを考えると納得出来ないわけでもない。…いいや、そういう話題が嫌なんじゃなくて、ほら、もっと言う事があるでしょうって話で。誰のためにクローゼットの奥から浴衣を引っ張りだしたと思ってるんだ。誰のために親に隠れて一人で頑張って着つけたと思うんだ。かわいい、とか綺麗だよ、とか何か一言でもあるんじゃないの?そりゃ顔を合わせればしょっちゅう言われてるから言われ慣れてるというのもあるけれど、今日に限っては別でしょう。

「いやー、それにしてもアキちゃんの浴衣姿はそそるよねー。後で脱がしてあげるから楽しみにしててね」
「ほんっとムードもクソもないですね…。呆れます」
「やだなあ…怒らないでよ、かき氷奢ってあげるからさ」

丁度浴衣のことを考えていた所に足立さんが浴衣について言及するものだから、考えを当てられたかのようで少しドキッとしてしまった。彼は時々、本当に私の心が読めてしまうんじゃないかと思われる節が多々ある。私が決して表に感情や欲求を出したわけじゃないのに。…この間だってひょんな事で落ち込んでいると、何も言わずに抱きしめてくれた。
普段はモラルも無いし、さっきみたいに飄々としているのはきっと本当の足立さんじゃない。本当は言葉で表すのが難しいくらいに冷たくて、世の中なんてアテにしてなくて、本来なら誰かに心を寄せるなんて事しなかったはず。なのに。私が足立さんの隣に居られるってことは、必要とされているってことは、もしかしたら足立さん自身も予想していなかったのかもしれない。

「何で不貞腐れてんの?」
「別に不貞腐れてなんかいませんよ」

 既に薄暗くなっている窓の外を見つめる。ぼんやりとした視界の中で、屋台がいくつも並んでいるのが見えた。灯が暗がりの中で映える。道を行き交う人達も多くなってきた。警備員に誘導されるがまま、駐車場に車を停める。

「じゃあ行こっか」

 私の手を引く足立さんの手は汗ばんでいた。指を絡め、いつもより少し強めに握ると、それ以上の力で握り返してくる。人混みに紛れても決して離れないように、例えば、誰かが無理矢理にも私達を離そうとしても離れないように。

*

いつも思うのだけれど、かき氷っていい商売だと思う。水道水を凍らせて削って、原価などたかが知れた着色料過多の液を掛けるだけ。もしかしたら人件費のほうが掛かってるんじゃないかと思わせるようなそれは、本来なら何百円を払ってまで食べる価値など無いのに、凄く魅力的だ。夏の、それも祭の屋台として並んでいる所に風情を感じる。そんな所に付加価値があるから、人々は列を作ってまでもかき氷を求めるのかもしれない。
足立さんに買ってもらったかき氷を店員さんから受け取る。屋台の前の”シロップ掛け放題”という看板が掛かっている白い長テーブルには、容器に入れられた色とりどりのシロップが並んでいる。私はその一つ、メロンシロップの容器に手をかけた。心なしか、少しベトついている。

「こういうのってセンスが問われますよね。何色も混ぜたら食べ終わる頃にはドブ色になりますからね」
「えっ…そう言われれば…そうだね」

歯切れの悪い足立さんのかき氷に目をやると、案の定氷の山にはピンク、緑、青色のシロップが掛けられていた。苦笑いの足立さんに私も溜息の代わりに苦笑いを返す。

「類似色の方が綺麗じゃないですか。ほら、」

そう言って、緑と黄色のシロップが半分ずつかけられた私のかき氷を見せる。少し足立さんは考えた素振りをしてから、先がスプーン状になったストローで自分のかき氷を掬って、口に含んだ。

「別に、最終的に綺麗な色に染まらなくたって救えないわけじゃないよ」

 足立さんはそう言ったきり、私の顔を見ようとしなかった。足立さんに手を引かれるまま、屋台が並んている道を外れて、川岸を歩く。下駄の鼻緒が少し親指と人差し指の間に食い込んで痛む。足元も石で歩きにくい。目を凝らせばかろうじて他人が見えるくらいに、人気が離れた場所で足立さんは立ち止まった。一口も口をつけていないかき氷は、てっぺんが溶け始めて、私の右手を鮮やかな黄緑が染めていた。

「僕さ、本当はキミなんか好きにならなければ良かったのにって思ってるんだよね。人並みの幸せを感じてる僕って滑稽だと思わない?でも、好きって気持ちって理屈じゃないって思うよ。どうにもならない」

私と足立さんの手が離れた。はっとして足立さんの横顔を見る。特にこれと言って表情が変わったわけではなかった。小さなスプーンで氷を掬っては口に運ぶを繰り返す足立さん。それにつられて、私も人工的な甘味を味わう。もはや何の味だか分からなかった。氷の冷たさのせいなのか、それともまた違う冷たさのせいなのか、頭痛がする。半分以上溶けたそれを、ストローで飲み干してやると、残った氷の粒が水面から頭を出す。

「わた、しは…」

その時、心臓を撃ち抜かれた気がした。思わず左胸を擦ってみるが、至って変わったところはない。代わりに、頭上で大きな花が咲く。少し遠くで歓声が聞こえた。花火の打ち上げが始まったのだと頭では認識しているのに、花火が上がる度に心臓が揺らいだ。
私は、花火が嫌いだ。日本人は昔から朽ち果てていくもの、儚いものを愛でるとはよく言ったものだ。どうして永遠を望んではいけないのだろう。絶対に叶わないものだと誰が決めつけたのだろう。花火の、最後の最後までギリギリ肉眼で捉えられるくらいに塵となった火の粉のようになるまで、足掻き続けたっていいではないか。
私は、私は足立さんを好きになったことを後悔していない。”好き”の気持ちが理屈で説明できないことは同意する。だけど、足立さんにどんな過去があろうと、私は足立さんを幸せにしてあげたい。私という存在があって足立さんが幸せを感じているのなら、私は本望だ。滑稽なんかじゃない。

「私は、足立さんに同情して隣に居るほどお人好しじゃない。私が好きであなたの隣に居るんです!何か文句あるんですか?足立さんが滑稽だとか関係ないです、私はッ…」

言葉が続かない。頭が回らなかった。気づけば夢中で足立さんの浴衣の袖を掴んでいた。言葉にしたら、絶対に叶わない気がした。二人の間で暗黙的に決められている禁句、”ずっと一緒にいたい”という言葉。
足立さんと未来の話をすることもほぼ無い。それでも私は永遠を望む。
水面に映る花火は歪んでいた。花火だけじゃない、いくら目を擦っても視界が歪んでいた。隣に足立さんがいるのに一人で居るような錯覚がして、不安で、どうしても足立さんに近づきたくて、肩同士が触れ合うまで距離を縮めた。

「アキちゃんも僕も、本当に馬鹿だよ。」

*

「…ッ」

人の流れに逆らい、駐車場まで戻ってきたかと思うと、助手席に放り込まれる。木の茂みに少し入った所に車が停めてあること、花火の打ち上げ最中だということで人気は全くなかった。足立さんがシートの背もたれを倒して、ドアを閉める。そして私に馬乗りになると、私の首筋に噛み付いた。こんな性急な足立さんを見たことがなかった。額に大きな汗の粒を浮かばせながら、私の浴衣の襟元を握る。折角綺麗に着付けたのに、と思う暇も無しに足立さんを受け入れるのに精一杯だった。

「足立さんは、私が守ってあげる」
「ははッ、ガキが何生意気言ってんの?アキちゃんは守られる側なんじゃないの」

足立さんが私を馬鹿にしたように笑った。そう、足立さんはずっとそのままでいて。悲しい顔をするより不敵に笑っているくらいが丁度いい。
花火の音が五月蝿い。もう、いっそのこと世界が足立さんと私だけになってしまえば、全部解決してしまうのに。