▽ story

湿った夜に鳴く、蝉たちの喘ぎ
ジジ、と外灯の光が揺れた。都会とくらべて外灯の一つ一つの間隔が開いているような気がした。田舎特有の静寂に気が狂いそうだった。いやでも自分の思考と向き合わさざるを得なくなる。多少の喧騒でも耳から突っ込めば、それが壁となっていてくれたのに。早く帰りたくて仕方がない仕事も、帰宅したらそれはそれでやることもない。かと言ってふらりと外に出てみれば、これだ。やけに澄んだ空気は正直合わない。まだテレビの中に入って霧を肺いっぱいに吸い込んだほうがマシな気分だった。
社会人のサガなのか、ストレスを感じるとアルコールを摂取したい、という欲望が湧いてくる。しかし、ジュネスはとっくに閉店している。以前住んでいた所では徒歩3分圏内にコンビニがあったというのに、その何倍もの時間をかけないとたどり着けないということに多大な不満を感じる。背に腹は代えられない、と妥協をしてこうして覚束ない脚を進めていた。
周囲の薄暗さに反して、目が眩むような明るさで店は佇んでいた。ドアも自動ドアでない。少し重いその扉を開けると、気だるいような声で自分を迎える店員の声が聞こえた。
「あーっと、誰かと思えば刑事さんじゃないっすかあ、いらっしゃいませ」
この街では珍しい、今どきの子と称せる風貌の男が僕の顔を見て挨拶をし直す。左胸に下げられた名札には”新藤”とある。ぱっと見年齢は十代後半から二十代成り立てかというところだろうか。夜勤をしているということは18歳を越えているのだろうけど。何かの節で最近夜勤を始めたという話だけは聞いたが、こうも僕に対して人懐っこい態度を取られると何故だか邪険に出来なくて、疲れてしょうがないはずの作り笑いを彼に向けるしかなかった。
「どーも」
肩の高さまでは手が上がらなかった。ヒラヒラと挨拶代わりに手を振る。それだけでその男は嬉しそうな顔をするものだから、どうも居心地が悪かった。挨拶も早々に酒売り場に向かう。相変わらずのラインナップだ、と毒づきながらいつもの銘柄に手を延ばそうとした…。その隣に、八十稲羽に来るまで愛飲していた銘柄がぽつりと置かれていた。あれ、と思わず首をかしげる。
「刑事さんがこの間これ好きだって言ってたから、発注しちゃったんすよ。美味いっすよね、それ」
「…ふーん、ていうかキミ、二十歳越えてたんだ」
「うっそ、俺若く見えます?俺今年21っすよ」
「まあでも若い事この上ないね、羨ましいよ」
羨ましいだなんて建前だった。毎日くだらないことに楽しみを見出しては仲間なんて反吐が出るような言葉で薄っぺらい人間関係を構築しているんだろう。どいつもこいつもそんな奴らばっかりだ、こいつも、きっと、例外ではない。会計を済ませる間も、新藤くんは他愛もない話を続けた。あいも変わらず僕は間の抜けた相槌しか打っていないうのに、何が楽しいのだろうか、饒舌で、笑顔を絶やすことはなかった。
*
自分でも笑えるくらいにそのコンビニに脚を運ぶ頻度も高くなっていった。八十稲羽の夏は思っていたよりも暑い。夜中とはいえ、外に出るのも億劫なはずなのに最近では以前より店に行くスパンも短くなっている。何が僕をそうさせたのか、言わずもがな心当たりはあるのだけれど。
店の明かりが見えると何故だか口が渇く。馬鹿らしい、と口に出してみたら余計に喉が渇いた。
「刑事さんどーも」
店先の灰皿の前で新藤くんはたばこを吸っている手と反対の手を上げてみせた。火をつけたばかりなのか、大分長さを残しているというのに灰皿にそれを押し付ける。
「吸ってても別に構わないんだけど」
「ん、いや、いいんす」
制服姿ではない彼を見るのは初めてだった。細身のジーンズにTシャツというラフだけれど、素人見の僕にでもセンスがあるのが分かる出で立ちだった。よれよれの半部屋着の自分と比べると、少し居心地が悪い。
「あ、俺っすか。仕事終わりなんすよ。今日はヘルプで夕勤だったからこの時間にあがり、ってわけで」
別に聞いてないけど、という言葉が喉先まで出かかった。そうなんだ、といつもみたいに適当な相槌を返す。そもそも、この子と僕の間には共通の話題なんてあるはずがなく、共感だって出来ない種類の人間だ。ちゃらんぽらんで、コンビニなんて薄給なのに誰それ構わず笑顔を振りまかなきゃいけなくて、それでも毎日漠然と楽しいとふらふらしているような人間だなんて。
「足立さん?」
「え、ああ…ごめんね。ぼーっとしてた」
「疲れてるんすねえ、じゃ、俺の奢りってことで」
新藤くんの言葉の意図が分からないでいると、ぱっと彼は店に戻っていった。2,3分も経たないうちに袋を片手に戻ってくる。はい、と渡されたのはあの日から欠かさず店においてある缶チューハイだった。いいの?と聞くと新藤くんは「いいの!」と自分の缶チューハイのプルタブを開けた。何一つ納得がいかないまま、僕もプルタブを開けて一口口に含む。なぜだか、いつもと違う味がしたような気がした。
「…というかさ、なんでキミ、僕の名前知ってるの?名乗ったことあったっけ」
僕の記憶が正しければ、自己紹介なんてしたことがなかった。先ほど不意に苗字を呼ばれたことを思い出す。僕だけ一方的に名前を(苗字だけだけれど)知っているのもどうにも可笑しな話ではあるけれど、彼が僕の名前を知る機会はなかったはずだ。僕の職業を知っているのは、彼と顔を合わせた最初の頃に春先に起きた殺人事件の現場捜査を見ていたからだという話だったから理解は出来るのだけれど。
「えーっと…、いや、この間足立さんが上司っぽい人に怒鳴られてたの見てたから…」
…堂島さんか。あの人は僕を怒鳴るとき、決まって「足立ぃ!」と大声を出すのだ。なるほど、それでか。
「嫌なところ見られちゃったなあ」
ぐび、とまたチューハイを流し込む。ふと新藤くんを見ると、口ごもり、俯いていた。男にしては長い髪の毛の合間から見える耳が赤くなっていることに気づく。アルコールを摂取しているから、と納得すればそれまでだけれど、明らか挙動不審になられると嫌でも考えを改めざるを得ない。
「キモいすよね、俺。どれだけ足立さん見てるんだよみたい、な」
…ちょっと待って、どいういうことなのだろう。さも何時も僕のことを見ていますみたいなニュアンスの言葉は。思わず無言になると、自分が墓穴を掘ったのに気づいたのか、ますます顔を赤くした。この何とも言えない雰囲気を打破するような気の利いた言葉を紡ぐようなスキルは僕にはない。
「勘違いだったら申し訳ないし、恥ずかしいんだけど、キミ、もしかしたら僕のこと好きなの?」
半分冗談交じりに半笑いで言った。馬鹿言え、仮にも男同士だというのに肯定されるような事があってたまるか。いつものような明るさでそんなわけない、と笑ってほしい。若しくは、なんの間違いかわからないけれど、僕と友達になりたかっただけみたいなオチにしておいてほしい。
けれど僕をちらりと横目で伺って、控えめにうん、と新藤くんが頷くものだから、さてはて、僕はどうやって彼を傷つけないで返事をすればいいのだろうか。