Silvia

story


御手紙

3学期も終わりを迎えようかとしている、まだ寒さの続く日の事だった。唐突に、鳴上くんに対する想いを精算しようと思い、手紙を書いた。薄い黄色の紙に、茶色の罫線が引かれた便箋を一枚取り出し、一番最初に書き慣れた彼の名前を書いた。多分、彼の名前をこの手で形にするのは最後だろう。一画一画にさよならを込めた。
次に、彼に感謝の言葉を書いた。自分と向き合ったあの日から、強くなれただろうということ、リーダーを務めきってくれたこと、感謝すべきことは数えきれないけれど、なるべく短めの言葉にした。私は特捜の書記係だったから、皆との話し合いの度につけていた記録を綴ったノートを傍らに置いて、手紙を書いた。一つづつ、思い出すように。
最後に好きです、の四文字と自分の名前。1枚に私畳められた想いは、今、散り散りになって私の手の中にある。


 いくらか陽は差しているものの、寒いことには変わりがなかった。放課後の屋上には誰もいない。私一人だった。風で揺らめくスカートが煩わしい。手の中にある紙くずを、制服のポケットの中に突っ込んだ。どうしても千切ることの出来なかった、”鳴上悠”と書かれている部分だけを手の中に残して。ポケットの中の手紙の残骸と一緒にぞんざいに残すのも、ゴミ箱に突っ込むのも違う気がして、一段と強い風が吹くタイミングを狙って、空に飛ばした。ゆらり、と屋上を出発して、最後には私の見えないところまで飛んでいった。
 恋とは、なんて不合理な物なのだろうと思った。相手が鳴上くんなら、尚更。鳴上くんは何をとっても完璧で、とても魅力的だった。一緒に行動を共にしていくにつれ、惹かれて、好きだと自覚するのにも、そう時間はかからなかった。ただ、その恋の行末を考えると、決して楽なものではない。来月には鳴上くんは元いた場所に帰ってしまうし、彼は皆に好かれる存在なのだから、私が釣り合うのかどうかが怪しいところだ。それに、そもそも前提として、鳴上くんは私を好いてくれるのだろうか。そう、ぐるぐるぐるぐる考えること自体が不合理だった。何をするのにも、鳴上くんの事がチラついて話にならない。だから、この思いを昇華しようと思った。上手く行ったかは自分でも分からないけれど。
 ”鳴上悠”と書かれた紙切れは、いつか地面に落ちて、土の肥やしになればいいと思う。ほら、鳴上くんはすごい。自分の知らない所で何かの足しになっているのだから。





 昨日、長い時間屋上にいたのが悪かったのか、若干風邪を引いたようだった。なるべく咳を控えながら、放課後に職員室で担任との進路相談を受けた。このまま成績の伸びをキープ出来れば、大学の推薦は受かるとお墨付きをいただいた。しかし、鳴上くんが私たちの前から去ろうとしている今、正直な所、難しいと思う。成績など、少しでも鳴上くんの隣に立てるよう努力した結果にすぎない。鳴上くんへの想いを断とうとしている私にとっては、関係無かった。不安気な私と満足気な先生、対称的なモノを抱えたまま、その場はお開きになった。重い足取りで職員室を出ると、花村が物凄い形相で私に話しかけてきた。

「あああ、もう!やっと見つけたぜ…。どこ探してもいねえし、電話は出ねえし!」
「ごめん、面談中だったから…。それより花村どうしたの、そんな必死そうな…」
「必死なのは俺じゃなくて鳴上!わけわかんねえけど、血眼で探してんぞ!お前、鳴上に何かしたのかよ…」
「…何も、してない」

 直接的には、と言おうとしたけれど、やめた。頭の回る花村の事だから、勘ぐって、深くつっこまれそうだったから。一体、鳴上くんは私に何の用があるというのだろう。花村も事情を知らないみたいだし、色々考えてみても、鳴上くんが私に用がある理由など分からなかった。

「さっき屋上探してくる、って言ってたし、まだ屋上にいると思うから早く行ってやれよ」
「ん、サンキュ花村」





 昨日と同じ様に屋上へと続く扉を開く。風は昨日よりは若干弱いかな、と思える程度だった。フェンスに寄りかかってこちらを見ている鳴上くんの学ランをなびかせている。顔はこちらを向いているものの、逆光で上手く表情を読み取ることが出来ない。お互いの存在を認識しているはずなのに、私が鳴上くんの名前を呼ぶことも、また、鳴上くんが私の名前を呼ぶこともしなかった。彼の手の届く距離まで近づくと、やっと鳴上くんが私の名前を呼んだ。不意に生まれてくる緊張に戸惑っていると、鳴上くんは一枚の紙切れを私に差し出した。それは紛れもなく、昨日、私が確かに飛ばした紙切れだった。私が確認した限りでは、その紙切れは風に飛ばされて、校庭の向こうの方まで飛んでいった筈だった。

「…それ、何処で手に入れたの」
「昨日、夕方頃に強い風が吹いたろ。その時に飛ばされてきて」
「ゴミだとかは、思わなかったの」
「自分の名前が書いてあったんだ、嫌でも気になる」

 昨日、飛ばした時に鳴上くんに届けばいいななんて、ちょっと望みをかけていたのは事実だけれど、そんな偶然があるわけがないと思っていた。ありえない事に願いを掛けるくらいの贅沢はしてもいいだろうと。しかし、現にそれは彼の手の中にあった。届いて、しまった。

「これ、新藤の字だろ」
「なんで私の字だと思うの」
「隣で新藤の書く字を特徴を覚えてしまうほどに、ずっと見ていたから、かな」 
「…そう。用事はそれだけ?」
「俺に、手紙を書いてくれたんじゃないのか」
「まあ、読む価値の無いものだけれどね。それに、もう、手元には無いし」

 私の書いた手紙を、もう読むことが出来ないということを仄めかした。仮に、まだ無傷の状態で手元にあったとしても、当然、鳴上くんに見せるつもりはなかった。どちらにせよ、”無い”と白を切るつもりであった。あくまでも、自分の鳴上くんへの感情の整理として書いたにすぎないのだから。

「やっぱり、そうか」

 妙に納得したような顔で、鳴上くんは自分の右ポケットに手を入れた。似たような光景を体験したような気がして、その原因となる記憶を思い返すと、昨日の私の行動が被る。私は右のポケットに、彼への想いの残骸を捨てた。対称的に、何かを取り出そうとしている鳴上くん。鳴上くんがポケットから取り出したそれは、白い便箋だった。丁寧に4つ折りにされているところが、鳴上くんらしいと思った。

「俺も、返事を書いたんだ」
「内容が分からないのに?」
「うん。ほぼ勘だけど」

 少し透けて見える文面は素っ気なく、書き込まれているという感じではなかった。何が書いてあるのだろう。見てみたい。でも、見てしまったら何かが変わるような気がしてしょうがない。変わることへの、不安。身震いがした。肌寒さと緊張、どちらから来ているのかが分からなかったけれど、手紙を開く指先が震えていた。完全に開く前に鳴上くんの方を見やると、笑っていた。彼は笑っていた。大丈夫だよ、とでも言うように。
 上からゆっくりと、罫線を辿っていく。”新藤アキ様”と綴られた後、文章は続てはいなかった。ずっと空欄のままの罫線が続く。もう残りの罫線もあと僅かだというところで、インクの黒が見える。”好きです”と線が文字を象っていた。

「鳴上、く」
「伝わった?」

 手紙ごと、ぐしゃりと私は鳴上くんに抱き潰されていた。五感が全部鳴上くんを欲していた。神経の隅から隅まで侵されたかのようだった。あれだけ広いと思った空も、ちょっと煩わしいと思った風も、全部、無かったもののようになってしまった。

「…”好きです”の前に”俺も”って付けようか迷った」
「な、なにそれ…。なんで分かったの…、私が好きだって書いたこと」
「全部分かるよ、アキのことなら」