Silvia

story


花冠

中型の雲が散らばってるだけの、果てしなく青い空が頭上を飾っている夏の昼下がりの事だった。足立は陽の光を吸い込むスーツを鬱陶しく思いながら額に汗を光らせていた。歩幅は狭く、住宅街の閑静さに飽き加減を見せながら歩いていた。名目は見回りと言う名のサボり。事件の解決の兆しが見えず苛々している堂島の顔を見るくらいだったら、愛おしい彼女の顔を見たいという足立の願望は実に理にかなったものであった。フェンスの外から、彼女だけが気づくように顔を覗かせたら、また困った顔を見せてくれるだろうか。そしたら、誰にも気づかれないように僕に小走りで近寄ってきてくれるのだろうか。想像するだけで途端に歩調が早くなる。目当ての建物が近づくにつれ、早く、早くと自分を急かした。
?子供というものは、遊びに天候なぞ関係が無いようで。雄叫びを上げながら鬼ごっこをする様を見て、炎天下の中でも校庭を走り回っているくらい元気にあふれた幼稚園児を足立は半ば羨ましく思った。塗装の剥げている、幼稚園のフェンスを背にして立っているエプロン姿のアキを見つける。

「アキちゃーん、足立さんですよー」

?名前を背後から呼ばれ、肩をビクつかせたアキは、足立の存在に気がつく。驚いた表情から、少し頬を膨らませる程度のムッとした表情へと移り変わらせる。周囲を確認しながらこちらへ近づいて来るアキに笑みを零さずにはいられない足立が、へらりと笑う。

「もう!足立さん、またサボりですか?堂島さんに言っちゃいますよ?」
「それだけは勘弁してほしいなあ…」

 へらりと笑ったまま頭を掻く足立は、”本当は堂島さんに言うつもりなんて更々無いくせに”と心の中で悪態ついたが、一切表情には出さなかった。
足立はフェンスに手を掛けるアキの指を包む。フェンス越しの汗ばんだ手同士は湿り気による不快感を醸しだした。肉質的なアキの指と、じわりとまとわりつく汗に夜の営みを隠喩的に感じ取った足立は、背徳感と何とも言えぬ快感との葛藤を生じさせた。

「せんせー、その人だれ?」

 いつの間にかアキの足元に自分より遥かに小さな人間がまとわりついているのに足立は気づいた。一人の女児がアキのエプロンの端を握りしめながら、足立を不思議そうな目で見つめる。気づいた時にはもう、アキはフェンスから手を離していた。上目遣いで足立を見る純粋な小さな目は、足立の瞳を捉え続けていた。不純さを持ち合わせないその目を見つめ返すことに戸惑う足立。取り繕いつつ、女児の目線までしゃがみこむ。

「アキ先生のかれ──」
「お友達です!わたしの!」
「ええー、そんなのつまらないじゃない」
「つまらなくない!」

 アキは女児の手を取り、しゃがむ。はるかちゃん、と呼ばれた女児は嬉しそうにアキの首に腕を回し、抱きついた。足立が羨ましそうな表情を見せると、アキが「だらしない表情を子供に見せないでください」と叱咤する。代わりに優しい表情を女児に見せると、やんわりとした口調で問いかける。

「お仕事サボっちゃう人には、どうしたらいいかな?」
「お仕事しなきゃだめっ、ってする!」
「参ったな…」

 人差し指を女児に向けられた足立は、純粋さの拳銃を突きつけられたかのように萎縮する。それと同時に、アキとの貴重な時間に水を差さないでほしいと女児を厄介者と認定する。何時だって自分は救いようのない身勝手だと自分のまだ僅かに残る白い部分が己自身を責める。しかし、そんな声をものともしない足立透本体が嘲笑いながら一蹴した。女児は子供ながらに敏感であるのか、女児自身に向けられる異様な雰囲気を察すると、何も言わずに去っていった。不思議そうな顔を向けるアキに、足立は裏の無さそうな笑顔を向ける。

「ほら、足立さんも仕事に戻ってくださいよ。お仕事しなきゃ、だめってしますよ?」

 先ほどの女児と同じように人差し指を向けるアキに足立は急に泣き出したくなった。もし、アキともっと早く出会えていたのなら、自分は過ちを犯してしまう前に留まることが出来たのかもしれないと。マヨナカテレビを発見してしまったことも、ただの超常現象の1つとして取り扱う事が出来たのかもしれないと。アキと接する度に心の根底にある、自分の本性とこれまでの過ちが足立の首筋にナイフを突き立てていた。もっと真っ白い心のままでアキと接することが出来ていたら、どれほど幸せなのだろう。Ifの世界で生きる自分は、十分すぎるほど心からアキを愛すことが出来ていた。そう考えるだけで今までと比べ物にならないほど頭が狂いそうになった。

…もっと、もっと怒ってよ。僕の罪を知って責めて、罵ってよ。そうすれば、まだ僕は君に近づけそうだから

「な、何泣きそうな顔してるんですか!今日の足立さん、おかしいですよ…?」
「何言ってるのアキちゃん、ちょっと目にゴミが入っちゃっただけだよ。気にしないで」
「ならいいんですけど…。
あ、今日の晩御飯は足立さんの好きなロールキャベツですからね、ほら、お仕事頑張って下さい!」

 元気出して、と屈託の無い笑みを向けられる。また一回、心臓のあたりが痛みを覚える。じゃあね、と背を向けた足立は下を向いて歩く。知らずの内にアキに助けを求めているのではあるが、どう足掻いても取り返しのつかないことは足立は重々承知していた。ならば最後まで悪役を演じてしまおうと、いつも脳内でアキを犯す妄想までしてしまうというのに、いざとなれば足がすくんで動けなくなる。どっちつかずの中途半端な自分には陽の光など浴びる資格なぞ無いと分かりきっているのに、それでも求めてしまっていた。最後にはアキを悲しませてしまうことも、もう分かっていたのに。それでも”好き”の感情は本能に実に忠実であることを足立は恨めしく思った。