▽ story

1+1
「おっ、アキさん、今帰りっすか?」
「あ、花村くん。お疲れ様」
そこそこ忙しい平日のジュネスでのバイトを終え、従業員出入り口から外へ出る。冬の厳しい冷たさを持った風が私の無防備な頬を打ち付けた。枯れ葉だけが暗闇を動きまわる中に、従業員専用駐輪場で一台の自転車を前にして屈みこんでいる人影に気づき、驚く。しかし、よく聞き知った声が私の鼓膜を通ると共に心臓の鼓動も落ち着いた。花村くんに近づくと、困ったような表情の花村くんが私を見上げた。
「どうしたの?」
「俺のチャリ、結構ガタが来てて…、鍵が回らなくなっちまって」
「そっかあ、私も自転車で来てたなら二人乗りでもして帰ったんだけどね…」
「…まあ、明日にでもまた修理に出しますよ」
ため息を一つつき、途方に暮れる花村くんを尻目に「じゃあね、」と帰ることは到底出来なかった。なんとなしに、自転車を使わないといけないほど家が遠いのかを聞いてみたら、なんと花村くんの家は私の近所だったらしい。「そうなんすか?」と花村くんが話に食いつく。私は徒歩で帰っている旨を伝えると、彼は面倒くさがり屋なんで、と恥ずかしそうに言った。もう一つ、花村くんは何かを言いたそうに口をモゴモゴさせる。
「じゃあ、その、一緒に帰らないっすか?いや、ほら、こんな暗い中、女の子一人で帰らせられねーっつか…」
「ふふ、年下の男の子に女の子扱いされちゃった」
花村くんは顔を真っ赤にして頭を掻きながら私から目線を外した。顔が赤いのは照れ半分、寒さ半分といったところだろうか。反応を素直に表すことができる花村くんがとても可愛く思える。この感情は、花村くんを年下であることへの、弟に対する感情と同じようなものなのだろうか。
「ほら、早く帰りましょう!」
「そうだね。寒いし、帰ろ」
そう言って、花村くんは立ち上がる。あっという間に、花村くんと私の身長差が出来上がる。並んで歩き出した私と花村くんの距離は微妙で、近くも、遠くもない。私との間を冷たい風が吹き抜けていく。客観的には、花村くんとの会話は弾んでいるというのに、なんだか少しだけ寂しい。
「それにしても寒いっすねー、ついこの間まで暑かったのに」
「もう12月だからねえ…、早いなあ。
というか花村くん、首元が寒そう…。」
コートの襟から見える花村くんの首元に目線をやる。すると花村くんは気づいたように襟元を合わせ、少しでも風を凌ごうとするが、あまり効果は無いように思えた。
「そういうアキさんこそ、手、めちゃめちゃ寒そうじゃないっすか。
ずっと手、握りしめてんの寒いからっすよね?」
「う…バレたかあ」
今日に限って忘れてきた手袋は、恐らく自室の机の上にある。歩く度に風を切る指先が冷えていって、付け根へ向かって感覚を無くしていく。せめて外気に触れる面積を減らそうと手を握ってみても、たいして変わらなかった。
「あ、それならちょっと待っててください」
頭にクエスチョンマークを浮かべた私を尻目に、数十メートル先の自販機に駆け寄る。何かを購入した後、私の元へと戻ってくる。嬉しそうに私に一本の缶のコーンスープを差し出す。差し出されるがまま、受け取ると、缶の暑さが私の手の冷たさと触れ合い、ジンジンとした痛みを生んだ。
「これなら少しは暖かくなるっすよね」
「え、いや、悪いよ…、いくらだった?」
「いいんす、プレゼントっす。いつもアキさんがバイト頑張ってるの、俺知ってるんで」
「うう…、なんか今日はしてやられてばっかりだなあ…」
手の中でコロコロと缶を転がす。当たり前のように温かいのに、この温かさがいつまでも続かないということに妙に感傷的になる。この寒さの中、手のひらで風から守っても、持って数十分というところだろうか。
再び歩き出した私と花村くんの間は、まだ近くはない。
「じゃあ、さ、花村くんも寒いだろうから…、」
缶の半分位を持ち、花村くんに向ける。数秒経って察しのついた花村くんが、缶の反対側を掴む。小さい缶を二人で持つものだから、花村くんの右手、私の左手が少し重なる。触れたときに少し小指が緊張した理由を、花村くんは知っているのだろうか。
「あったけえ…、つか結構これ、恥ずかしいつーか…」
「寒くてもいいなら離していいんだよー?」
「いやいやいや、意地でも離してやらねっすよ!」
手を繋いでいるわけではないのに、私もなんとなく気恥ずかしい。だけれど、花村くんとの距離はずっと縮まった。このコーンスープが完璧に冷めてしまうくらいに、一分でも長く彼の隣を歩くことが出来ればいいのにと思ってしまった私は、もう後に引けないのだろう。