Silvia

story


涙の形は無いけれど

「あちゃー」

これはやばいぞ、と一つ大きな声を出すと後ろで発生をしていたカイトがビクリと反応した。歌声が自分の所為で途切れたことに気づいたアキはギシリと椅子の背もたれを鳴らせつつ振り返り、謝った。

「どうしたんですか?マスター。」

パソコンの前に座っているアキの隣まで移動し、身をかがめてデスクトップを覗くと少しだけアキの肩に触れた。Tシャツ越しの肌が暖かい。さっきまで風呂に入っていたアキの肌が酷くカイトには暖かく思えた。自分には無い肌の温もり。ずっと画面越しに憧れていた温度。今なら直に触れることさえ出来ることに気づいたカイトは身震いをした。
─何を考えているんだ、俺は…

「エラーですか?それとも行き詰まりですか?」

嫌な思考を振り払うようにアキへと質問を投げかける。画面上には楽譜が映し出されていた。カイトの新曲は戦争時代の悲恋をテーマにしたものだと聞いていた。もう少しで出来上がるからねとつい先日言っていたアキなので行き詰まりは無いと見える。エラーを知らせるポップアップも出ていない。となれば何が原因なのだろうとカイトは頭を捻らせた。

「気づかない内にハードディスクの容量が一杯になっちゃって。こりゃソフトウェアの積みすぎかなあ…。曲自体は完成したんだけど何かアンインストールしなきゃ曲が保存出来ないわ…」

アンインストール。最もカイトが嫌う単語の一つだった。カイトはアキのいる世界に実体化しているものの、アキの所有しているパソコン内に核となる VOCALOIDのソフトウェアがある。勿論アンインストールされるとなれば実体化している”KAITO”という姿も消えてしまう。核がソフトウェアなの でパソコン自体がウィルスに感染し、ソフトウェアにまでウィルスに侵されれば実体化しているKAITOもウィルスにも影響される。故にソフトウェア=カイ ト自身なのである。つまり、アンインストールという言葉は人間でいう死であり、VOCALOIDであるカイトも人間同様、死を恐れていた。

実体化をしていないアプリケーションソフトウェアでさえカイトはそういう意味では同胞と言っても間違いは無いと思っていた。

「アンインストール…ですか」
「あ…ごめん」

しゅん、となったカイトの頭をカイトのより幾分小さな手のひらで撫で回すと二、三回アキは「ごめん」と謝った。カイト同様しょんぼりという顔を見せたマスターの姿にカイトは焦りを覚えた。

─自分が不甲斐ないばっかりにマスターを悲しませてしまった!!

そう思うと一気に慌てふためくカイト。人間に対する行動のバリエーションがまだ豊富では無い為、どうしていいのか分からない。「ごめんなさい、マスター…」散々に慌てた末、カイトはアキ背に腕を回し、抱きついた状態になることで落ち着いた。
アキの首筋に顔をうずめると、そっと腕が自身の背にも回されたことに気づいた。

─ああ、温かい。それでいて、いい匂いがする…

アキがカイトの背中をぽんぽんと優しく撫でるように叩いた。アキの表情はとても和らいでいた。何かを慈しむような優しい目をカイトに向ける。視線に気づいたカイトは顔を上げてアキの瞳を見つめた。
愛しい人が自分に向ける眼差しをカイトはひとつも漏らすまいと一心に見つめた。ただ、そこにある不安を一つ見つけてしまった。

「俺も・・・いつかはアンインストールされてしまうのでしょうか?」

カイトは人の心を持つと言っても所詮はソフトである。いつかは必要とされなくなるのかもしれない、二度とその瞳を見れなくなるかもしれない、ボタンひとつで自分の存在が無くなってしまうかもしれない。不安をアキに委ねるように再びアキへもたれた。

「大丈夫。消さないし、消せないよカイトは。」

「マスター…。マスター、俺は…」

必死に言葉を紡ぎだそうとするカイトにアキはにっこりと笑った。再度、アキは眉を八の字にするカイトの頭を撫でる。その優しさに縋るようにカイトはアキの腕を極力力を加えないように下ろさせ、頬に手を添えると、そのまま唇へと迫った。

愛おしさを一気に送り込むように。

─マスター、俺はね、ずっとあなたの傍で歌い続けることが夢なんですよ…。

意識に溺れる中でカイトはただ愛しい人と繋がることに夢中になっていた。