Silvia

story


ハイライブ

「ただいまー」

玄関のドアの鍵を締めるよか先に、奥からひょっこりと殿が出てくる。夕飯の支度の途中だったのか、しゃもじを片手に私を出迎えた。しゃもじの先に付いているご飯が未だに湯気を立たせている。鼻孔をくすぐる夕飯の臭いが一気に胃の空腹を知らせた。

「もうすぐ飯は出来上がるぞ。しばし待たれよ」
「ん。いつも悪いねえー」
「気にするでない」

微笑みながら、がくぽはそう返す。靴を脱いだ後の私の鞄をさりげなく手に取り、私をリビングへと促すと自分は後ろから付いていく。まるで執事みたいだと 思ったのだけれど、あくまでもがくぽは”殿”なんだよなあ。”マスター”と”ボーカロイド”の関係はあったとしても、主従関係までは無いはずだ。家事を完 璧にこなしたり、こうやって私の手を取るような真似は一体、がくぽのどのような感情から来ているのだろう。

「さーてと、夕飯が出来るまでは新曲のチェックでもするかなあ」

パソコンを起動し、動画サイトへのブックマークアイコンをクリックする。私だって、全国にごまんといるマスターの中の一人だ。もっといい曲を作れるように なるには他人様の作品から学ぶことだって必要になる。初期の頃に比べては一曲一曲の再生数も増えてきたし、この頃の殿はとても楽しそうに歌う。マスターの 私にとっては嬉しいこと限りない。歌えと言えばどんな歌だって殿は歌ってくれるのだろうけれど、私はそれは正直に言うと、嫌だ。たかがソフトウェアが実体 化しただけのものじゃないか、自分が良ければそれでいいんだみたいな傲慢でエゴな態度は殿にとりたくない。

「主、我の歌は皆に届いているだろうか」
「ん?この間の新曲のこと?ちょっとまってね…」

ダイニングテーブルに皿を並べる殿が私に問いかけた。歌っている本人も再生数は気になるらしい。そりゃ皆に聞いて欲しいものね。毎日チェックしていると 言っても、自分の曲の評価は気になるものだ。少しばかり緊張しながらランキングを見る。…5位。曲を公開してから日も浅いのに、私が予想していたよりも再 生数の伸びが半端ない。心臓の上ら辺が縮み上がる感覚がした。

「殿!みて!」

皿を並べ終えた殿が横からディスプレイを覗き込む。

「再生数、コメント数ともに鰻登りだよ!」
「それは真か!?」

曲を再生しつつ、流れていくコメントに目を通す。やっぱり、自分の曲を賛賞するコメントばかりでは無いけれど、それはそれでいい勉強にもなるし、なにより 自分だけじゃ気づけない細かな着目点を教えてくれる材料にもなる。スピーカーから流れてくる殿の声と一緒に口ずさむ。隣にいるがくぽが微笑んだような気が した。一通りコメントを見た後、ランキングに戻ってみると自分の作った曲のタイトルがもう一つ、あった。
そういえば、と思い出す。動画投稿した翌日、メールボックスに一件の新着メールが届いていた。内容は、某有名歌い手さんから私の曲を歌わせて欲しいとのこ とだった。私はというと、びっくりしつつも二つ返事をした。どうやら、その歌ってみた動画が完成したらしい。早い仕事に再び驚かせられつつも、そのサムネ イルをクリックする。

「いいねえー、私と殿の曲が他の人にも歌ってもらえるって幸せだよね」
「…そうであるな」

今度は歌い手さんの声と一緖に口ずさむ。曲のところどころにアレンジが効いている。かといって原曲を乱すようなアレンジは一切加えて無く、むしろ引き立てるような耳障りの良い曲になっていた。歌も上手いし、逆にこちらの頭が下がる勢いだ。
と、サビに入りかかるその瞬間、私の口は殿の手によって塞がれた。思わずでかかった声がくぐもる。

「…我は主がどこぞの男と歌っているのが気に食わぬ。」

手を洗った後だったのか、ほんのりと石鹸のいい匂いがする。スピーカーからは相変わらず歌い手さんの歌声が響いている。それさえも殿は気に食わなかったの か、スピーカーの音量コントロールのつまみを回すと消音にしてしまった。とっくに口から手が離れているのはわかっているのだけれど上手く言葉が出てこな い。

「…すまぬ、忘れてくれ貰えるとありがたい」

エプロンを脱ぐと、殿らしく無くソファにそのまま投げ捨てた。どうしようもなく、佇む殿の後ろ姿がなんだか小さく見えた。紫苑の長い髪の毛が力なくゆらゆらと揺れていた。
袖をまくり上げているため露になっている白くも筋肉質なその腕を私は掴む。殿は反射的に振り返る。しばらくの沈黙が続いた。

「…醜い嫉妬というのは承知しているのだが、我はいつも主が他のボーカロイドや歌い手に心を委ねる様を見ているのが苦しいのだ」
「殿…」
「我には主だけしか居ぬ。心変わりなどせぬが主はどうだろうか、我よりやはり人間のほうが…」
「ばか、何言ってんのよ。最初から私が心変わりするようだったらあんたを買ってない。目も呉れてなかったよ。大体ボカロが実体化するなんて聞いてなかった し、実体化したらしたで…あんたが人間にしか思えないのよ。だから殿がボーカロイドだから、ってことは最近は考えてなかった」

…私を抱き込む殿の腕の温度は人間のそれと同じで、私となんらかわりない。心臓の音ですら早まっているのが解る。さっきからがくぽは黙ったまま私の首元に 顔をうずめている。髪の毛と首筋にかかる息がくすぐったくて、少し身を捩らせてもすぐに殿は私を抱きしめ直すのであった。