Silvia

story


A Little Revenge

 親友から掛かってきた助けを呼ぶ電話を受け、早々に仕事を切り上げて会社を後にする。会社を出た瞬間に、今度はまた別の友人からもヘルプコールが入る。幸いなのかそうではないのか、行き先は同じだ。オフィス街を抜け、こういうことなら高めのヒールを履いてくるんじゃなかったと思う。身長が云々きーきーと騒ぐ彼にこれから会うことになるのだから。駅から少し歩き、見慣れたレストランのドアを開ける。ドアにかかっている、CLOSEと記された札が激しく揺れた。飲食店独特の匂いが鼻を突く。残業後の身には少々堪える。胃が収縮しようとしたその時、聞き覚えのある声がパーテンションで仕切られた奥の方の席から聞こえた。ここのレストランで勤めている親友への挨拶も早々にそちらへと向かう。

「京也」
「アキ、お疲れちゃん。悪いな、仕事中だったろ?」
「まあ、なんとかなるから大丈夫だと思う」

ちらりと当の本人を見やると、私と目線を合わせようともしない。テーブルに頬杖をつき、”拗ねてますがなにか”というようなオーラを見せつける。更には「なんとかなるならさっさと来いよ」なんて言う。出会った当初でこそ、拗ねる透の発言に一々言い返しても居たが、今では受け流すことを覚えた。年上の余裕というか、わがままを受け入れる心の余裕も二人の間をとりもつのに必要な要素であるのは確かだから。しかし、今日のこの拗ね用は前代未聞だ。何か不満があった時に顔を合わせたら文句の一つや二つを言われることが常だが、今日は何も言わない。こちらを見ようともしない。人を呼んでおいて(呼んだのは京也たちだが)挨拶もなしに、私の存在を無視しようとしている。京也にそっと目配せをすると、京也もまたお手上げなのか、小さく首を振った。

「透、何かあったの」
「別に」

 別に、ってなんだよと言いかけたところをぐっと我慢する。いつもは何かと突っかかってくる分、彼の言いたいことは十分すぎるくらい理解できていた。しかし今回はどうだ、怖いくらいに無言を突き通す。こうもイレギュラーな事が起きると、中々にアドリブなど利かぬもので、私もだんまりを決め込む他なかった。

*

 京也に促されて帰路を辿る。相も変わらず私達二人の間を繋ぐのは無言だった。心なしか、透との距離も遠い。私も自覚するほどのタチの悪い意地が、透に優しく問いかけようとする意思を消し去っていく。私も大分透の扱いが上手くなったものだと自負していたが、思い過ごしだったようだ。結局無言のまま、自宅に到着する。鍵を取り出すと、いつしか透とお揃いで買った猫のマスコットが憎いくらいの笑顔でぶら下がっていた。ため息が零れそうなのを抑えて、ドアを開けた時だった―。右肩を掴まれたかと思うと、強引に振り向かされる。枷となっていたビジネスバッグが鈍い音を立てて、床に衝突した。

「ちょっ…」

パンプスが片方脱げる。重心がブレてバランスを崩すと同時に、玄関の隅に追いやられる。私の視界のすぐ下方で、内鍵が透の手によって締められたのが見えた。そのまま玄関の隅に追いやられると、私の左鎖骨に頭突きをするがごとく透の頭が乗っかる。不快ではない汗の匂いが私の鼻をくすぐる毛先から香る。

「…どういうことだよ」
「何が」

透の左手は未だに私の右腕を力強く掴んでいる。爪を食い込ませる訳ではなく、指の腹が私の腕に跡をつけるように強く、強く。その様はまるで何かにすがるように、額をひたすらに私の胸に押し付けていた。果たしてどういうことだ、と聞かれたところで逆に私が問いたいくらいだった。

「お前、今日の昼アイツと会ってたろ」
「だから、アイツって誰、どういうことって何が」

 与えられた言葉の断片から、余裕のない頭で必死に思い返していた。今日のことを思い出すだけだというのに、こういう時に限って朝食に何を食べたかなんて余計なことまでも思い出そうとする。丁度記憶を昼までたどっていた時だった。まだ純朴さが残る青年の顔が過ぎった。

「…魁斗くんのこと?」
「分かってんじゃねえかよ」

 あまりにも呆気無く見えてしまったオチに、スーッと頭に巡り渡って行っていた血液が捌けていくようだった。ドラマとかでよく見る、浮気の弁解をするヒステリックな女の姿を思い出していた。いくらフィクションとはいえ、ああいう状況に陥る自分を想像してみても、そもそも前提として浮気なんてするはずが無いし、などと気楽で居た。それがどうだ、浮気はしていないが、浮気を疑われるだなんて思っても見ないことだった。

「……透」
「…んだよ」
  
 私の顎下あたりに来ている透の頭を右手で撫ぜる。子供をあやすように。本当はその脳天に一発げんこつでも見舞わせたかったのだが、これ以上いざこざを増やしてもしょうがないという理性が働く。

「私の職業はなんでしょう」
「は?」
「いいから」

 今までのシリアスな雰囲気を破ってクイズ番組の司会みたいに問いかけると、顔を上げた透が”こいつは何を言い出すんだ”と言わんばかりに怪訝な顔をしてみせる。早く、と急かすと嫌々答える。

「私の所属している部署は何でしょう」
「宣伝部…だっけ」
「よし、正解。じゃあこれ見て」

 バッグを拾って、窮屈そうにつめ込まれた書類の束を渡す。本当は部外秘なんだけど、と付け加えると少しためらいながらページを捲った。くたくたになっているピンク色の付箋のページを開くように伝えると、未だ意図が掴めないままに私に従う。文字の羅列を目で追う透の目が少し丸くなっていくのに気がつく。

「新CMキャラクター…”辻魁斗”…?」
「そ。夏の新商品のCMに出てもらうんだけど、その打ち合わせが今日のお昼にあってさ。で、明日の会議で使う資料作ってたら京也たちから呼び出しがあって、今に至るワケ」
「……っつーことは…俺の、」
「勘違いですねえ」

 嘘だろ、とマジかよ、を繰り返しながらその場に座り込んだ透を尻目に、私はジャケットに手をかけた。

「俺ちょーかっこ悪ィじゃん」
「ソンナコトナイヨー」
「棒読みやめろ」

 さて、遅めの夕飯でも作るかとエプロンの紐を縛りながら未だに玄関から動かない透を見やる。耳まで真っ赤にしている透の姿がいやに可愛くて、愛おしくて、なんだかんだ憎まれ口を叩き叩かれつつも長い間一緒にいることが出来る理由がわかるような気がした。

「いやー、私は幸せ者ですねえ、あんなに嫉妬されちゃうんですものねえ」
「…悪ィかよ」

 ニヤニヤしながら透を煽った私に返ってきたのは精一杯の強がりだった。そんな真っ赤な顔で言われても逆効果なのに。ニヤニヤ顔を止められないまま、髪の毛を一つにくくる。その私の目の前に透が立ちはだかると、私の頬を片手で―大福でもつかむかのように―つまむと、歪な形になった私の唇に雑なキスが一つ落とされた、
 

*

「というオチだったわけですが」
「なるほどねえ~。あの透クンにも可愛らしい一面がねえ」
「お騒がせシマシタ」

 軽く頭を下げると、京也はいーのよ、と私にウィンクのキラーパスを渡す。年齢の割に深い懐のそれに少し感動を覚えつつ、私は缶コーヒーを傾けると同時に背後のドアが開く音がする。

「噂をすれば、ってやつ?」
「なんでお前此処にいんの…」

 人の顔を見て開口一番それかい、と先程までの感動が一瞬で振り払われる。仕事で近くまで来たから、と取り留めのない返事をすると、興味なさげにふーんと私の脇を通り過ぎる。

「さて、京也さんはお暇しますかね、また疑われちゃアキちゃんに悪いし?」
「おおーっと余計な一言」

 私と京也の会話に聞き耳をたてていた透が素っ頓狂な声を上げる。透クンからかうのも程々にしておいて欲しいんだけどなあ。京也さんに話したのかよ、と猛抗議する透を尻目に、次の打ち合わせの場所は何処ったかなあ、なんて呑気な思考回路は今日も絶好調のようであった。