Silvia

story


箱庭

 …得体のしれない物は嫌いだ。別にどうこうする程…私自身が手を下す程に嫌っているわけではないけれど、出来れば近づきたくないのが本望だ。だがしかし、その得体のしれないものから遠ざかろうとする程それが近づいてくる場合にはどうすればいいのだろう。力を以てして解決する?それとも、それと向きあってみる?
…正直に言うと、自分が把握出来ないものほど怖いものは無い。例えそれが同じ人間であろうとしても、同じクラスメイトのたった一人の男であろうとしても。

「あの、先生に資料まとめとけって言われたの私なんですけど、なんで折原君もいるんですか」

「嫌だなァー。クラスメイトに敬語は無いっしょ、アキちゃんさ。もうちょっとフランクに行かない?俺のことは臨也でいいよ。俺もアキちゃんって呼んでるし」

…どこか論点がズレている。多分コイツは、相当頭の切れる男なのだろう。自分の都合の悪いことになると話の中心を別の話題と少しずつ置き換える事を得意とするような。
来神高校に入学して以来、この人のいい噂を聞いたことがない。今や池袋最強と謳われる平和島静雄と毎日のように池袋を追いかけっこしているだとか、裏でその手の人達と関わり合っているだとか。この人と関わりを持ったことで、平和な学校生活を無事に送って卒業するという、この高校に入学した時に決めた目標は残念ながら高校生活の半分をもって終了となりそうだ。
脳内妄想のピエロが道化師特有の笑いを演じながら終了のファンファーレを鳴らす。溜息が思わず漏れた。

「私に構わないで欲しい。サボった罰として資料集めを任されたのは私だから、折原は関係ない。手伝うと言い出しても私は丁寧に遠慮させてもらうからな」

「関係なくてもさ、俺はアキちゃんのことが知りたいわけ。放課後に密室で二人きり。美味しいシチュエーションだとは思わない?」

「思わない」

即答すると、折原は「はっ」と笑った。
こういう所も気に食わない。常に人を見下しているような視線と、一見、おどけてみせたような言葉に含まれる不審なワードの数々。何を考えているのかも分からないし──、分かりたくもないけど。
 資料室の棚に綺麗に整頓されているファイルを抜き出しては中身を確認し、目的の資料が無かったらそのファイルを仕舞い、を繰り返した。先生が指定したテーマの本や資料を集めるのが仕事だったのだが、あまりにもそれが抽象的すぎて探すのに時間を要した。
ここ資料室は、名ばかりは資料室だけれども、読まれなくなった本や文化祭の時の貸出物…ベニヤ板や展示板、演劇部が使わなくなった衣装などが入ったダンボールなども置かれていた。常に部屋はホコリっぽく、少しカビ臭い。資料を探す手を止めると、寒いのは分かっていたが資料室唯一の窓を開け、空気の入れ替えを試みた。窓の外は暗く、陽など疾っくの昔に沈んでしまっていたらしい。冬特有の夜の匂いが鼻についた。窓からは外の電灯の光が差し込むのみである。

「さて、再開す──」

と、私が振り向いた時だった。資料室の扉を開いた音がしたと思うと、電気は消され、またたく間に扉は閉められ、あろうことか鍵の掛かる音がした。この部屋は外鍵だったことを思い出すより先に、数メートル先にある扉に走りこみ、回らないドアノブを必死に掴んでは絶望的な手応えに脳内が汗をかいていた。

「あーあ、閉じ込められちゃった。きっと俺らの事棚が死角になってて見えなかったんだろ、」

ドアを叩いて大声を出してみても鍵を掛けた人物は戻ってくる気配もない。そうでなくとも誰か通りすがりの人が私たちの存在に気づいてくれれば、と期待した。が、ただでさえ人通りの少ない西校舎だというのに、一番目立たない2階の端に資料室はある。こんなところまでわざわざ来る輩はいないだろう。希望は薄い。

「嘘、でしょ」

ずるずるとドアを背にして座り込む。ひんやりと冷たい床が尻から太ももにかけてを冷やした。冷たいけれど、そんなのどうでもいい。思考の混雑が起こる脳内で一番解決的な方法を、と探った結果が携帯電話で助けを呼ぶ、ということだった。なんでもっと早くに気づかなかったのだろうとポケットを探ると、そこにあるはずの端末の感触は無かった。そういえば、教室のバッグの中に…。なんで今日に限って。折原が私の傍らに立つと、電気のスイッチを入れる。一気に電灯の光を受け、目が眩んだ。
そんな中、目線を上げた一瞬のうちに、無表情だった折原の唇が弧を描いた。…出来れば頼りたくなかった相手だけど。

「あのさ、このままこうして一夜を過ごすなんて折原も御免だよね?」

「別に?思ってもみなかった展開にワクワクしているけど?」

「…ケータイ電話、さすがにアンタは持ってないはず無いよね?助けを呼んで欲しいんだけ
ど。私はケータイ教室に忘れてきちゃったから…折原、頼む」

頭までは下げずとも、目線を折原の足元に下ろした。人に物を頼む時は嫌でもこちらが下手にでなければ、思うようにはならない。ちょっとだけプライドを欠く行為だとしても、折原とこのまま二人で夜を越すなんて御免だ。

「そうしてあげたいのは山々なんだけどさ、俺も持ってないんだよねえ、ケータイ。まさか今日に限って鞄の中に入れっぱなしにしておくとはなあー。俺も馬鹿だよね」

「嘘ぉ…」

「嘘じゃないよ?俺の洋服を脱がせて確かめてみてもいいけど?アキちゃんならいつでもウェルカムだし」

「全力で遠慮しておく」

私の事も遠まわしに馬鹿にされた気分だ。両手を広げる折原を尻目に私は唇を噛む。
しかしとも、絶望的な状況が続くと段々慣れてくる…適応能力って怖い。
…もう資料集めどころではない。この状況をいかに出来るだけいい方向に持っていけるかを考えてみる。…自分一人だけならまだしも、他人…ましてや折原がいるとなれば気が抜けない。

*

夜も更ける10時半、それまで折原と仲良くお喋り…という訳などなく、一方的に折原が話しているのに相槌を打つ数時間であった。話の内容など一切憶えていないけれど、折原と居ることの緊張からきた疲れの所為なのか、だんだん瞼が重くなってくる。
しかし時折くる肌寒さが眠気を削り取っていく。勿論、ただの倉庫化した資料室などには暖房など付いているはずもなく。新聞紙にくるまれば些か温かいかもしれないが、コイツが居る手前、みっともない事はしたく無い。さて、どうするかと何回目かのアクビが漏れた。

「眠い?」

「…それなりには。でもあんたと居ると気が抜けないから、寝るわけにも…」

「それは前向きに捉えていいのかな?」

「どうぞご勝手に」

と言った側からあくびがせり上がってくる。涙を含んだ目に冷たい空気が触れた。
折原がそんな私を無視して何処かへと消えていく。やはり何がしたいのか今一分からない男だ。しかし、それでも分かったことがある。私に対しては、決して嫌悪を含んだ態度で接してこないことだ。それは好意として捉えてもいいのか?それとも私は折原に遊ばれているのだろうか。若しくはこうやって様々な思考が働いて混乱している私を見て楽しんでいるのだろうか。

「寝るならさ、これ使いなよ。寒いから風邪引いちゃうでしょ?」

と席を立ち、部屋の奥から大きな黒い布を差し出す折原。おそらく演劇部が使用していたと思われる暗幕だった。かび臭くはなく、パッと見綺麗な布だった。ありがたく頂戴しようと手を伸ばすと、折原はそれを引っ込める。また私をからかうつもりだろうと、敢えて私は一旦引く。ムキになるのは折原の思うツボだろうし、と。しかし折原は布をマントのようにして自分の体に掛けると、壁際に座り込んだ。二本のスラリとした脚を開き気味に座り、そこに出来た空間を指さす折原。

「…なにやってるの」

「俺も寒いし眠いから、是非アキちゃんと安眠を図ろうと。二人くっつけば寒さも駕げるってわけ」

「いやいやいやいや、」

「だってこれ、一枚しか無いしさ」

つまりは、その…折原の脚の間に私が入って、二人で暗幕に包まれながらおやすみなさい、とでも?バカ言え、冗談じゃない。一応ここにいるのは男の折原臨也と女の私であって、仮に密室で二人きりになろうともそういう関係にはならないとは思うけれども、密着して安眠を遂げる程私の精神は強靭なものではなくて、意識をしてしまうというよりかは一方的に身の危険を感じてしまうというのが本音なのだけれど…

自分でも目が泳いでいるのが分かるほど動揺していた。折原はニヤリと笑う。

「安心してよ アキちゃんが寝てても襲ったりしないから。ほら、早く。眠いんでしょ?」

「わわわ分かってるし!そんなに言うなら、その…お邪魔します」

「どーぞー」

語尾に音符がつきそうな勢いで私が折原の指定する領域へと入ることを了承した。折原は両手を広げた。ウェルカム、とでも言うように。私はそれが本意では無いんだという意味を込めて、ぺしりと手首を叩くと渋々その腕を引っ込めた。極力折原に触れないように座ると、折原がマントと共に覆いかぶさる。折原の温もりが移った厚手の黒い布が冷え切った私の身体を包む。

「なにか言うことは?」

「え…?寝床を作ってくれてありがとう?」

折原は笑った。いつものように人を見下すような笑い方ではなくて、眉間に皺を寄せて私が見る限り折原の 本当 に近い笑顔を見た。その笑顔の理由など理解は出来ないけれども、こういう顔も出来るのではないかという安堵と、やはり折原も人間だったという事実に驚かされた。それから、この胸の高鳴りはなんだろうと。心臓の辺りが縮み上がるような感覚…恐怖からではなくて、もっと優しい感情が胸を押しつぶしているようだった。

「はは…違うでしょ、寝る前は”おやすみなさい”」

「ああ、そういう…ことね。 おやすみ折原」

「おやすみ、アキちゃん」



*

案外すぐ寝付けてしまったのも、折原の腕の中が暖かかったのと、極度の緊張のせいで疲れていたからだと思いたい。決して、折原の人間味を垣間見たことによる安堵感によるものではないと。そして、折原という人間を知った夜から折原との接触が増えたのはまた別の話。…ちなみに、無事に次の朝に資料室から脱出した後、折原を問い詰めると、折原にとってタイミングよく資料室の鍵を閉められてしまったのも『偶然』だそうだ。
まあ、私自身その言葉を疑ってもないし、”あの日”が最悪だったとも思ってないけれど。