Silvia

story


アイリスは死んだ 03

 ここ、婆娑羅学園の体育祭の最大の名物といえば、2年生男子の騎馬戦だ。この騎馬戦を観るためだけに近所の人たちはメガホンを片手に応援に来る。私のクラスの大将である幸村は、決勝前に武田先生に喝を入れてもらってくる、と言い残して去っていったかと思うと、左頬に既に大きな腫れをこさえてグラウンドに登場した。やれやれ顔の佐助が騎馬の先頭を担っている。真田隊の左後方の騎手に、三成くんはいた。
決勝戦であるこの場に立てたのも、真田隊の圧倒的な強さと、三成くんの目を張るほどの作戦力だった。
 相手方の大将である伊達くんは、よく分からない英語で仲間を煽っていた。同じくその右後方の騎手に家康くんがいい笑顔で三成くんを見据えていた。対して三成くんは今にも射殺しそうな目つきで家康くんを見つめる。まるで因縁の闘い、のような。幸村くんと伊達くんの関係が好敵手と表現できるのに対して、そう感じてしまった。

「今年も面白い戦いになりそうだね、そう思わないかい?」
「いや…去年も去年で面白かったですけどね…。豊臣先輩の活躍は本当伝説物ですよね」
「フフ、秀吉に勝る者無し、だよ」

 豊臣先輩はその体格から勿論大将騎馬だったものの、あまりの気迫と覇気に恐れを成した敵が、命の危機からか自ら鉢巻を差し出す者が続出した。1年の頃の佐助が、「俺様来年あれやるの…」と引き気味にぼやいていたのを思い出す。
保健委員である私は、設営されたテントの影で悠々とグラウンドを見渡す。ここは中々にベストスポットで、最前列で競技を見ることができるし、何より影があることで涼しい。9月も半ばとはいえ、暑さも未だ残るこの頃、陽の下で待機できるほど根性は座ってなかった。保健委員とはいえ、怪我人がこちらを頼ってくることは殆ど無い。なぜだかこの学園の体育祭は、”怪我してこそなんぼ”の風潮があるらしく、幸村も左頬の腫れ以外にも既に裸の上半身は擦り傷と切り傷で満身創痍だった。しかしながら、「滾るでござるうううう!!!」という威勢の良さにはいつものことながら若干引く。

「本当、蒼紅合戦と東西合戦が同時に見られるなんて面白いね」

 ちらり、と横を見やると、竹中先輩は懐かしいものを見るような目で彼らを見ていた。「時代は違えどまた見られるなんてね、変な感動を覚えるよ」の次に「東西合戦の頃は僕はもういなかったけれど」と付け加えた。どちらの言葉の意味もあまりわからなかった。けれど、幸村率いる紅の騎馬と伊達くん率いる蒼の騎馬が居る、その風景だけ切り取って見てみると、またあの何とも言えない既視感が襲ってくる。

「…そうか悪かったね、君はまだ──」
「…え?」

 どういう意味ですか、と聞こうとしたその瞬間を狙ったかのように、武田先生が開始の法螺貝を吹いた。うおおおお、と地響きをも起こすような男達の声と身体がぶつかり合う。砂煙が彼らを包み、幾つもの手が絡みあう。幸村と三成くん、どちらもそれぞれの相手方に対して優勢に見えた──が、手前にいた幸村がぐらり、と体勢を崩しかけたのに三成くんが気を取られた。それをきっかけに家康くんにその紅色の鉢巻を持って行かれてしまった。対しての幸村は佐助の良いアシストによって体勢を立て直しつつ、かつ、バランスを崩したと見せかけ、伊達くんの意表をついて蒼の鉢巻を右手に掲げた。始終幸村は伊達くんの左の死角を狙おうとしなかったのは私にとってはフェアプレーだとは思うが、いささか伊達くんは機嫌が悪そうだった。保護者席の頬に傷が入り、オールバックの強面の男の人は、何やら満足気だったけれど。

「三成君もまだまだ、ってところだね。まあでも、帰ってきたら君も褒めてあげるといいよ、きっと喜ぶから」
「……喜ぶ三成くんを見たことが無いんですケド」
「そうだったかな?」
「そうですよ…?」

 竹中先輩は細いフレームの眼鏡の奥で、優しく私に微笑みかけた。この人と一緒にいると落ち着くけれど、やっぱりこの人も私を昔から知っているような素振りを見せる。そのことだけが少しだけ不快だった。皆して私の知らない何かを共有している気がして。悔しい、とかそんなんじゃないけれど。
 決勝戦終了の合図を武田先生が送る。しん……と静まったグラウンドの砂煙が収まるまで、誰もが息を呑んだ。いくらかの審判が、倒れた騎馬と獲得した鉢巻との集計をし、武田先生へと結果を耳打ちで伝えた。ふむ、と頷くと武田先生が大きく息を吸う。

「只今の合戦の結果ァ、紅の勝利ィイ!!!!」

武田先生は高く右手に紅の旗を掲げた。私のクラスと観客側から多大なる歓声が沸き起こる。「うおおお、」と幸村が拳を二つ、高く天へと突き上げたと同時にクラスメイトが幸村の周りに集まり、胴上げを始めた。どこまでも熱いクラスだなあ、と思っていると、竹中先輩が「行かなくていいのかい?」と私に声を掛けた。

「まあ、特に行かなくていいかなって…」
「そうかい?」

 次の競技に移るため、席に帰るよう促すアナウンスが流れる。果てしなく疲れた顔をして席に帰る佐助達に外れて、こちらへと向かってくる影が一つ見えた。…言わずもがな、三成くんだった。遠くからでは気が付かなかったけれど、その右頬から大層な量の血が溢れだしていた。

「うわ、三成くんのアレは不味くないですか」
「そうだね…、三成君はアキちゃんに任せるから手当してあげてくれるかな」
「えっちょっと待ってくださいよ、竹中先輩は!?」
「僕次秀吉の応援行かなきゃいけないから」

 じゃあね、と爽快に去っていった竹中先輩と入れ違いで三成くんが救護テントに入ってくる。

「お、お疲れ様…」
「ああ」
「えっと、手当するから座って…」

 さっきまで竹中先輩が座っていたパイプ椅子に、三成くんが座る。滴る血の外側は既に乾き始めていた。机に置いてあったペットボトル入りの水をティッシュに染み込ませて血を拭き取ると、頬の肉を抉ったような傷跡が姿を現した。

「うわ…痛そ」
「誰だか知らんが、爪で抉ったようだな。余り痛いとは思わんが、血が止まらん」
「ちょっとまってて」

 今年も出番もないだろうと思っていた木製の救急箱を取り出すと、消毒液を染み込ませたガーゼで改めて血を拭きとった。傷口から血が山を作る頻度も減った頃合いを見て、ガーゼをテーピングで留める。傷口がガーゼに覆われた今、ふとこの間、血に濡れた三成くんを視たことを思い出す。その銀色の髪の毛に映えるような紅が、今目の前にいる三成くんと重なる。あれ?と思った途端に、ぐん、と頭の前方に錘が課せられたような錯覚を起こす。三成くんを目の前にこうべを垂れるしか無く、耳の奥からジンジンとした痛みが生まれる。ついには上半身を立たせることが出来なくて、彼の右腕を爪を立てて握ることでかろうじて前のめらないでいられるほどだった。

「おい、新藤。…アキ。貴様、ようやく」
「ちょ、黙っ…」
「秀吉様、半兵衛様、形部、そして私。思い出したであろう」

 動画を早送りしているように、現代のものではない映像が次々頭に流れ込んでくる。急に記憶を詰められた弊害なのか、頭痛が止まらなかった。細部までは何をしているか、どうなっているか、何を会話しているかなど把握できないが、その概要だけが脳を駆け巡っていく。鈍痛は次第に細かな痛みの波に変わっていき、定まらなかった視線も三成くんの顔が四重から三重を経て、整った顔の輪郭がはっきり見て取れるまで回復をした。

「…ッ、み、みつなりさま…」
「フン、貴様で一番最後だ」

 彼の最期を看取ったことも確かに覚えていた。その証拠に涙が止まらない。
いつの間にか秀吉様が出ていた筈の三年生の競技は終わっていて、帰ってきた半兵衛様が一瞬で事を悟ると、泣きじゃくる私の背中をひたすら擦ってくれた。遅れてやってきた秀吉様も、鼻声と嗚咽が混じった聞き取りにくい声で私が秀吉様の名前を呼ぶと、大きな大きな手の平で私の頭を包んだ。そしていつのまにやら背後に立っていた吉継様。もうこれは既視感などではなく、現実だった。一番幸せだったあの頃に、時を越えて戻ることが出来たのだ。あの頃はいくら願っても独りぼっち以外になれなかったというのに。皆私を置いて去ってしまった寂しさも勿論思い出すことが出来た。その分、本当に、今が幸せすぎて、どうしたら、いいのだろう。

*

「うっわーーーアキちゃんひっどい顔!どうしたの?誰に泣かされたの?」
「うっさい猿失せろ」
「酷くない!?人が心配してるのに人を猿扱い!……って、あれ、その呼び方」
「何か問題ある?」
「…アキちゃん思い出したんでしょ」
「さあ、なんのことやら」

 佐助の阿呆面を鼻で笑ってやると、佐助は、「そっかー…」と呟いたきりこちらを見ようとしなかった。