Silvia

story


アイリスは死んだ 02

 今日はお市ちゃんとかすがちゃんはそれぞれの”良い人”と昼休みを過ごす日だから、お昼ごはんは必然的に一人になる日だった。孫市ちゃんのところまで行ってもいいのだけれど、割りといつも忙しそうで捕まらないし、後輩の鶴ちゃんのところまで行くのも気が引ける。食に対してあまり興味のわかない私は、食べても食べなくても一緒だろうと、自分の席で昼寝をすることに決めたのだ。
席替えをしてからというもの、授業中に舟を漕ごうものなら後ろから微々たる殺気と共にシャーペンの先が背中に刺さるものだから、授業中に寝ることが出来なくなった。夜型の私にとっては辛いものがある。何の情けなのか、シャーペンの芯は出ていなかったけれども。
血に濡れた石田くんの幻覚を見た以来、私の目には今の石田くん以外の何も映らなかった。佐助や幸村を見ても同じだし、幸村が見た青い甲冑とやらを付けた伊達くんも視ることはなかった。検証しようにも手立てがないし、またあの吐き気を催すと思うと進んでその謎を解明したいとも思わない。その幻覚が前世のなにやらを表して、と言う話も私は相変わらず信じてはいない。
 うつらうつら、と頬杖をつきながら眠りに入りかけると、クラスメイトの男子が、何やら叫びながら教室に入ってきた。と思ったら、その友達数人を連れてまたたく間に教室を出て行く。

「石田が喧嘩してるらしいぜ、やばくね!?見に行こうぜ」

その言葉を聞いて、やかましいなあ、と呑気に瞼を下ろせるほど私は石田くんに興味が無い訳じゃない。少しだけ、ほんの少しだけあの静かに佇む石田くんが、激高する理由が知りたくて、早歩き気味で私も教室を後にした。


*


「貴様、愚陋な口先で大谷を誹謗するとは随分な事だな」

 3階の廊下の行き止まりのところに人が集っていた。「あの石田が喧嘩かよ」「相手鼻血出してんじゃん」と野次馬するのはほぼ男子のみで、女子は野次馬の輪から少し離れたところでひそひそと連れの子たちと会話を交わしていた。どうやら、ひょろりとした体系とは裏腹に、腕っ節の強さは周囲の人間を驚かせるほどにはあったらしい。確かに剣道部の時期部長候補らしいし、武道には長けているのかもしれない。ただ、武道を心得る者にとっては殴る喧嘩などNG中のNGだろう。それをも破ってしまう程の理由とは、先ほどの石田くんの言葉からすると、大谷先輩が鍵らしい。
喧嘩といえどももう鎮火しているらしく、恐らく間に先生が取り入る、もしくは当事者間で何か折り合いをつけて終わるのかもしれない。私がいてもいなくても変わりがない事は事実なので、教室へと踵を返そうとした時だった。

「テメェも豊臣に取り入って大きな顔してんじゃねえ、よ。徳川に勝てねぇくせに」
「……なんだと?貴様……もう一回言ってみろ、その達者な口が耳まで裂けることになるがな……」

 誰かの叫んだ『石田、止めろって!!』という言葉をきっかけに走りだしていた。厚い人の壁を掻い潜る。身体が押しつぶされそうだったけれど、私には石田くんを止めなければいけない気がした。理由があったわけじゃなくて、これも既視感によるものだったけれど、私にしか止められない気がした。

「やめなさいって…!」
「何故新藤がここに居る!」

 気がつけば相手に掴みかかって今にも拳をその顔面に打ち込みそうな石田くんの胴体にしがみついていた。なんとか相手との間に身体を滑り込ませると、突然の私の登場に気をとられた石田くんが後ろ足を一歩ばかり引く。それに対して威勢が戻ったのか、相手が「女に庇われやがって、」と捨て台詞を吐いた。また面倒なこと言いやがって、と焦りが苛立ちに変わり始めた途端に体勢を立て直した石田くんが私をも退けようとして再度相手に掴みかかりかける。

「邪魔だ!退け新藤!」
「やめ…、ちょっと!やめてってば…、

三成さまッ…!!!」

 何が起きたか分からなかった。一瞬で般若のごとく怒りで染めた顔から、呆けた顔へと石田くんは顔を変える。握りしめられていたはずの拳は私の左肩に乗せられていた。周囲も心なしか緊張感がどこにか行ったような雰囲気を醸し出す。皆何事かとついていけないような顔をしているが、一番何が起きたのか分からないのは私だぞ…?
取り敢えずよく分からないけど怒りの矛先が無くなったようなので、その辺の男子に保健室にでも連れて行けと相手方の子を任せる。

「貴様、今、私を何と呼んだ」
「え?いや、どういうこと」
「いいから答えろ!」

 行き成り叫ばれると心臓もこれ以上ないくらいに縮み上がる。整理の付かない頭で、順序立てて思い出す。ええと、私は石田くんが相手の子を殴ろうとするのを止めて…。三成さま、って呼んだら石田くんが止まって…。ん?ちょっと待って、”三成さま”…?
様ってなんだ!只のクラスメイトである石田くんに名前呼びはおろか様付けってなんだ!夢中で石田くんを止めようとしていたら、零れたその呼び名に私は赤面する。だけれど、ただ単に恥ずかしいと思えないのはまたこの胸のもやもや感のせいだろう。止めなければいけないと既視感に後押しされたのと、この呼び方に酷く懐かしさを覚えたのも何か意味があるような気がしてならなかった。

「もう一度言う、新藤貴様私のことを何と呼んだ」
「み、三成さまと…。な、なんか本当ごめん!私キモかっ……」
「いや、寧ろ次から私のことは下の名前で呼べ」
「…は?」

 何かしら抗議をしようと口を開きかけたその瞬間、遠くから野次馬を散らす武田先生の声が聞こえてきた。きっと誰かが呼んだのだろう。ふと振り返ると、殴られた相手の子は保健室に行ったようで、その姿はもう見えなかった。石田くんはそっと私の肩を押して、教室に帰るように促した。私が当事者として巻き込まれると面倒になるから、気づかれないうちに帰れ、だそうだ。少し腑に落ちなかったけれど、ここまで大事にしておいて何故か晴れやかそうな顔をしている石田くんを見ると、何も言えなかった。私を好奇心の塊で見つめる生徒たちの視線を受けながら、石田くんを後にする。教室に戻ると、5限目開始のチャイムが鳴った。


*
 

 その日、石田くんはとうとう放課後まで教室に帰ってこなかった。恐らく先生と相手の子との話し合いでもあったのかもしれない。石田くんの言い分がどうあれ、人を殴ったことに対しての制裁は少なからずあるのだろう。本当は愚直で、真面目な彼を評価している先生方も多いだろうし、恐らく豊臣先輩たちも口添えをするのだろうから大層な罰は無いと思う。私が何か心配する義理もないし、只のクラスメイトが起こした事についてとやかく言及する理由もない。彼のことについて私が少しずつ何かを思い出しつつあることを除けば、何も変わらない日々が続く、と思っていた。
次の日、佐助からの情報によると、石田くんは部活動1周間停止の罰を受けたらしい。それが軽いのか重いのか、私にはよく分からない。どうやら石田くんに殴られた相手の子が先に手を出したらしく(目撃した子によるとあっさり避けられたらしいけれど)、それも考慮の対象となったという。あれから3日経つが、少し目を伏せながら部活がない分早く帰る石田くんが少し寂しそうに見えた。
それから、ほんの少しだけ石田くんは私に優しくなった。明らかに私と会話する量が増えたし、時折私に向ける目線が柔らかくなった。なんだかそれがもどかしくて、前みたいに冷たく接してくれれば心穏やかに過ごせるのになあ、とも思ってしまった。