▽ story

アイリスは死んだ 01
「(やばいやばいやばいやばい)」
背中に突き刺さる視線。よく削った後の鉛筆の先のようなもので時間を掛けてジリジリと圧力を掛けられていくような。前動物園のドキュメンタリーで見たハシビロコウみたいなその前髪とその視線、どっちが鋭いかな、なんて秤に掛けたら一瞬で削がれそうなので止めておく。
ゴールデンウィークも開けて早々の席替えのせいで、私の後ろの席になったのは、石田三成くんという。柔道部主将の豊臣先輩を激しく崇拝する、このご時世珍しい堅物君だ。曲がったことと裏切りが大嫌いな石田くんは、どうやら私のことも好きでは無いらしい。2年最初のクラス替えで顔を合わせた時から、物凄い鋭い目つきで私を睨みつけてくるのだ。……誰を見ても鋭そうな目つきになるから、こればかりは私だけに限らないのかもしれないけど。あ、でも豊臣先輩と竹中先輩を見る時の目は、なんというか、キリスト教信者がキリストを目の前にしたかのような顔をするのも知ってる。
「新藤……貴様、何を呆けている。早くそのプリントを回せ」
ぎゃ、と言いかけた。背中に全神経を集中させていたせいで、回ってきたプリントの存在に気が付かなかった。たった二枚だけのプリントは、一番後ろに座る石田くんと、私の物で。幾人の手に渡ったプリントの少し皺の寄った方を選んで、まだ綺麗な方を石田くんに渡す。身体を少し捻って、だけれど石田くんの方を出来るだけ見ないようにして渡した。
「(超こええ…)」
いつも石田くんはこうだった。何にも臆さない、冷徹な目で物事を見据える。幸村達と比べると、かなり大人びていて、何にも動じないような人だった。最初は何にも興味を示さない人なのかな、と思っていたのだけれど、気がついた頃には後ろの席から私をじぃっと見つめていた。授業中も、私が教室で幸村達とつるんでいても、あまつさえ体育の時でさえも隣のグラウンドから。一体私は何をしたというんだ。誰か教えてはくれないでしょうか…。
*
「っはー、アキちゃんも災難だよねえ」
「ほんっとう、私が何をしたか分からないけど取り敢えず睨んでくるのは止めて欲しい。心臓に悪い」
「俺様が言ってあげようか?こう、ガツッと。『至らぬ所は御座いましょうが、新藤アキをよろしくお願いいたします』って」
「嫁入りか」
団子を口いっぱいに頬張っていた幸村が「夫婦漫才のようでござるな」とキラキラした目を向けてくる。気色の悪い物言いは止めんか、とその脳天にチョップを食らわそうとしたら、白刃取りを決められた。流石は剣道部エース、武田先生も認めることだけある。と、無駄に感心していると、佐助が「でもさー、」と続ける。
「アキちゃんは石田に悪いことした記憶は無いんでしょ?」
「全く心当たり無いんだよねえ。そもそも、石田くんと話したこと殆ど無いし。知らないうちに恨み買ってるとか怖すぎるんだけど」
「前世敵同士だったとかではござらぬか。現世では接点が無くともそれで都合がつく」
「いやいやいやそれはなんでも飛躍しすぎでしょうて。ねえ、佐助」
いつも思うけれど、幸村の脳内はやたらとファンタジー過ぎてついていけない時がある。政宗と初めて高校で出会った時も、やたらと互いを知ったような口ぶりをしていたが、それまで面識は無かったという。そういえば、私がまだ幸村に言ってなかった趣向などを当てられた時は最初こそギャグかと思ったけれど、時折、私の向こう側に誰かが見えるような素振りを見せる。もしかしたら幸村は妖精なのかもしれない。……いいや、大の甘党でござる口調の妖精ってなんじゃそりゃ。
「……いや、誰も口にしなかったから言わなかったんだけどさあ、伊達の旦那とか真田の旦那見てると、時々視界がブレて見えるんだよね。気のせいかなって思って目を一回瞑った後さ、目を開く瞬間に一瞬だけいつもの旦那たちと違う姿が見えるっていうか、」
「それだ佐助、某も頻繁に視る。政宗殿を見ていると、青い甲冑を身につけた姿が視えるのだ」
「ふうん、それが前世の姿じゃないかって?」
「うむ」
妙に佐助まで神妙な口ぶりで言うものだから、無闇に疑うことが出来なかった。二人は”視える”と言ったが、私にはそのような体験の一つすらない。もしかしたら、この二人以外の人も”視える”のかもしれないけれど、前世~の件は全く信じることが出来ない。それに、仮に石田くんが前世の私の敵(かたき)だとしても、現世で恨まれるような事があっては余りにも理不尽すぎるだろうよ。
「アキ殿はそのような体験は」
「無いよ。私がオカルトとか信じないの幸村知ってんじゃん」
「そうではあるがしかし、」
「オカルトって言うにはちょっと現実味あるんだよねえ、これが。なんつーか、最近益々酷くなってきてるんだよね、これ。頭痛とかもするしさー、本当参っちゃうっての」
私の事を見ても視界ブレる?と聞けば幸村は縦に、佐助は横に首を振った。迷信とかは信じてはいないけど、自分の前世がもしあったのなら気になるくらいのノリで聞いてみれば、二人はちぐはぐな答えをだす。面白くない。私をからかうのなら最初から打ち合わせしとけっての。
そのうち、その”視界のブレ”と”視える”ことについて本格的に談義を始めた二人の輪から外れてしまった気がして、面白くなくて、教室を後にした。
*
「意味分かんないし」
21世紀にもなって前世とかオカルトチックな話を誰が信じると言うんだ。それも10代後半に差し掛かった体育会系の男どもが。現代の妙に冷たさを知ってしまった子供なら少しも信じないような話を、二人して真面目な顔をして。
苛立ちまでは行かないけれど、幸村は兎も角、佐助のあの語り口調は果たして演技だったのかがもやもやしてたまらない。ただの悪ノリにしては種明かしが無かったことと、幸村の話に食い気味だったのが気にかかる。
土曜授業の後の校舎に人が居ることは滅多にない。幸村みたいに部活までの時間潰しで教室に居残る輩は多いけれど、大抵の生徒は皆早々に帰路につく。しかし今から家に帰るには時間が微妙すぎるので、一旦武田先生のところまで行って揃えてもらった進学先の大学の資料でも貰ってこようかな、と廊下を歩いている時だった。
前から見ても分かるくらいの猫背気味で歩いてくるのは石田くん。この流れで一番会いたくなかった人が目の前に居る。どこかに隠れようにも、こちらが石田くんを認識しているということは相手方も同じことで。無闇に変な行動をしてみようものなら、またその鋭い眼光で嫌味の2,3言われるに違いない。だからと言って挨拶をするのもまた違う気がして、そのまま何も言われずにすれ違うのを待った。
「貴様はそうやって苛立つと直ぐ親指の皮を剥く癖は治っていないようだな」
「……は?」
できるだけ石田くんの方を見ないようにしていたけれど、まさかあっちから声をかけてくるとは思わなかった。そちらを思わず見やると、石田くんは私との距離を詰めてきた。そのまま私の右手首を取り、私の目線の高さまで持ち上げる。私の右手の、人差し指に面した親指の皮が長く捲れ、爪の根元付近に至っては血が滲んでいた。無意識に人差し指で皮を抉っていったのだろうか。人差し指のつめ先には血が付着していた。
「左米神にある黒子もそのままだ、緊張すると耳朶に触れるその仕草もな」
「えっ、何それキモっ」
いきなりのストーカー発言とも取れるその言葉に思わず本音が出る。しまった、また『新藤、貴様ァ…』と唸り声を上げられるのかと身構える。が、石田くんはフン、と鼻を鳴らすだけだった。おや、なにか悪いものでも食べたのだろうか。
「貴様は相変わらず物覚えが悪い、自分で指の皮を剝いておいて散々愚痴を言う」
「なんで、知って……」
え、本格的に気持ち悪い。こういう時ってどこに相談すればいいんだろう。スクールカウンセラーとか?あ、もしかしたら豊臣先輩に直談判したほうが効くかもしれない。ちょっと卑怯だけど。
ダメだ、私本当に石田三成という人間が苦手かもしれない。むしろ嫌いの部類だ。冗談は通じなさそうで、ちょっと盲目的で。あと、その鋭い眼が苦手だ。そうとなれば一言、オブラートを何枚か包んで言い切ってやった方がいいのかもしれない。きっとこの人は人の気持ちを汲み取るのが少し苦手なだけなんだ。
「あのさ、いし――」
何が起きたのか分からなかった。
石田くんを見上げたと思ったら、視界が歪んで。反射的にキツく目を瞑って、開けるその瞬間に血に塗れた石田くんと瓜二つの青年が荒野を背にして立っている映像が見えた。視えただけなのに嫌に鉄の臭いが鼻についた気がして、フラついた足元を間一髪の所で立て直す。
数秒程私の視界に現れた石田くんは、腹の底からの憎しみを口にしていたけれど、声は聞こえなかった。口唇術、ではないけれどかろうじて理解できたのは『い…やす、ゆるさ…』だった。脳内で補完したのが合致しているとするならば『いえやす、ゆるさない』。『家康、許さない』、どういうことだ?家康とは徳川くんのことだろうか、彼を許さないとは、何故。何故石田くんはあんなにも形容しがたい憎しみの表情をしていた?
「何だ」
「なん、でもない」
嫌い、ムカつく、苦手
そう言いたかっただけなのに、それ以上何も言わせないかのように先程と打って変わって私の脳内が考えることを止めた。唐突に吐き気が催した。ごめんと一言謝ると石田くんの右手を振り払って女子トイレへと向かう。途中で大谷先輩とすれ違った気がするけど、そこにまで気を払えないほど私は余裕がなかった。
「早う早うと急かすなと、ぬしに言ったはずだったが、まあ、ヨイ」
ヒヒッと笑う大谷先輩の声を初めて聞いたはずなのに、どこか、知っている気がする。懐かしいとすら感じてしまう違和感が拭えない。
さっきまで石田くんを苦手だと思っていたのに、なぜか、吐き気と闘う傍らで、もう一度石田くんの顔を見たら何もかもが分かる気もした。石田くんを嫌いだとか言ってはいけないと私の背を何かが爪たてた。甲乙つけがたい感情がグルグルグルグル脳内から吐き出てくる。長く地の底で目覚めを待っていた華の芽がやっと頭を出したような気分さえ覚えていた。
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