Silvia

story


死神とワルツを

「なァ、新藤何処行った?」
「あー、なんか大切な用があるとかなんとかで、早上がりしたっすよ」

 日高のその言葉に伏見は思わず舌打ちしそうになる。舌を動かしたのはいいものの、アキがいないことに舌打ちをする義理など無いことに気づいた途端に、冷めた。別段、用があるわけでもない。いくら早上がりと言っても、定時でも終わりそうにない一日のノルマをきっちりとこなしていくアキに、余程の処理能力があると認めざるを得ないくらいである。伏見がアキの所在を確認したのは、いつも斜め向かいから発せられる威圧感が無かったことに気づいたからだった。伏見のデスクから見て斜め右向いにあるはずの存在がない。伏見は、いつも真っ直ぐな目で自分を見てくるアキの目が苦手だった。それを意識する度に、感じていたのは威圧感という代名詞かもしれない。

「そういや俺、見ちまったんすけど」
「…何を」
「何をって、新藤サンとその彼氏!この間残業後に街で──」
「あっそ」

 日高の声は、とてもつまらなそうな顔をする伏見によって遮られた。話を遮られた日高は、最後まで聞いてくださいよ、と言いかけた所でやめた。伏見が自身のつめ先で小刻みにデスクを叩いていたからだった。怒っている、イライラしているなど生半可な言葉では言い表しがたい表情をしている。日高はそっと伏見の傍から音を立てずに──まるで小動物が先に捕食者を見つけてしまった時みたいに──後ろ足で距離をとった。



*



 伏見もいつもより早めに仕事を切り上げ、第四分室を後にする。自ら終業を決めたのはいいものの、寮に帰るにはまだ早いことに気づく。遊びに誘えるような親しい友人が特に存在するわけでもなく、かといって一人で具体的に何をするかも決めかねている。なんとなく、街のど真ん中にいる伏見は自分が異質なような者に思えた。目的を持つではなく、ただ足が運ぶままに、それでいて何かを探すような自分──。矛盾ばかりだと、心のわだかまりを吐き捨てるように、舌打ちをした。たまたま横に並んで歩いていた若い女が、ぎょっとする。それをきっかけに、伏見はその場の空気に嫌悪を覚え、一段と暗くなっている脇道に入った。自分の背丈より幾ばくも高い建物に挟まれる窮屈さと、鬱屈な雰囲気は嫌いじゃない、と伏見は少しだけ笑った。

「──じゃない!」
「お前が──」

 ふと、どこからか男女の声が聞こえる。と言っても、どちらかと言うと会話それ自体は平和なものではなかった。途切れ途切れに聞こえる女のヒステリー掛かった声に、興味を煽られた伏見は、口の端を少し上げながら声の元に近づいた。
 …やはり、と伏見は今日で一番ハイな気持ちになった。角を抜けた少し先に、よく見知った人物と、その人物よりやや年上の男の姿が伺えた。女の顔はこちらを向いており、下手に角から顔を出すことは出来なかったが──。一瞬にして、その女が新藤アキだと知るのには労力はかからなかった。胃が押し上げられ、心臓の一鼓動が大きくなってゆく。
アキには、いつもみたく感情を表さず、真っ直ぐ伏見を見るだけの能面のような表情の欠片も無かった。声を荒げ、眉を顰め、手には拳を作り。今までずっと見たことのないアキの姿に、どこか安堵している自分と、何故か昂ぶる自分がいる。大きな声で笑い出したい衝動をこらえ、出来るだけ聴覚に意識を集中させた。

「そりゃあ、さぞかし滑稽だったでしょうね!他の女が出来たから別れを告げられるとも知らずに、浮かれて貴方に会いに行く私の姿は!」
「…そういう所が嫌なんだよ!無意識に自分のプライドと摺り合わせて僕と接する君の態度が!」

 お互いに一歩も引かず、人目が無いことをいいことに、罵り合う。まさかまさかまさか、自分などに目もくれず、人形のように仕事をこなしていくだけの新藤アキが、こうも激昂して、醜い部分を晒しているだなんて。壊したい、と伏見は単純な欲望に駆られる。
…もし、新藤アキの目の前にいるのが自分だったら─。そう考えると、全身が疼く。傍観しているだけではつまらない、と物陰から一歩踏み出す。流石に目の前の男に意識を囚われてたとはいえ、人間の動く空気を察知したアキが伏見を見る。アキが”なんで、”とつぶやく前に、演技がかった声色で伏見がアキの名前を呼んだ。

「こんなトコロで偶然じゃないかァ、アキ。今日は会えないって言ってたのにねぇ」
「な、なんだ君は!アキとはどういう関係だ!」

 お決まりすぎてつまらねえ、と伏見は心内に吐き捨てた。目を見開いて、嘘だ、とでも言うように自分の存在に怯えるアキの方が数倍面白い。伏見をセプター4のナンバー3だとは知らずに、一回り年齢が下の餓鬼に怒鳴り散らす男。「俺っすかァ、」とわざと男を煽るように、見下したような目をする。

「分かってんでしょ、わざわざ聞くなよ」
「なッ…!おい、貴様!アキ!いつからこんな男と!」
「チッ…、人聞き悪ィなあ…。おたくだって同じことしてんでしょ、キレる意味分かんねえんだけど。早く新しい女の所にでも行って、その粗末なモン慰めて貰えよド低能」

 顔を真赤にし、自暴自棄になって自分を罵る男など、いくら年上だとはいえ伏見にとっては敵ではなかった。言葉で勝てないのなら、鉄拳を。頭が簡単な脳内回路で出来ているのではないかと疑ってしまう程の単純さに、呆れる伏見。正面から殴りかかって来た男を避け、横を通り過ぎた直後に、男の背中に踵を叩き込んだ。伏見は、地面に転がる男を尻目に、何故こんな男がアキの隣を歩いていたのか疑問に思う。

「ふ、しみ…」
「じゃあ、アキ、行こうか」

 あくまでも、彼女を助けに来た紳士的な男を演じる。アキの目には一切そのような伏見の姿は映っていなかったが。


*



「新藤サンって男の趣味悪いんすね」
「…」
「何か言ったらどうなんすか」
「…」
「俺にあんな修羅場見られて、不服、不快、最悪って感じすか」
「…伏見には関係ない」

 いつものように、表情筋を動かさずにいるものの、言葉に覇気が見られなかった。それを創りだすのは、声色と、間と、息遣い。セプター4で唯一、新藤アキが揺るいでいる隣に居ることが出来たのは自分だけだと、伏見は触れて回りたいと思った。

「関係ない、は無いっしょ」
「何が目的?私の弱みを握ること…?それとも、私のこんな姿を見て楽しいと思うだけかしら」

 ──無意識に、自分のプライドと摺り合わせて接する…
伏見は、先程男がアキに罵ったワンフレーズを思い出す。確かに、と伏見は妙に納得出来る言葉だと感心した。年下の餓鬼を上司だと思いたくなくて、感情を見せずに接する所も、今みたく平気を装う所も、全てプライドが元凶なのだとしたら。壊して、自分の存在意義をプライドから、”伏見猿比古”に移せるのだとしたら。一体、新藤アキは誰のものになるのであろうか。

「全部、すかね。ああ、新藤サンてこういうカオも出来るんだとか、怒った時の声ってこうなんだとか思うとさあ、」


「すっげえ、興奮する」

 悪趣味ね、と呟いたアキの頭にはもう、どうでもいいの一言しか無かった。諦めた割には、アキの手が震えている。その指に無理やり自身のを絡ませ、きつく握りしめる。屈辱に歪んだ顔が、また伏見を煽った。