Silvia

story


Without haste, but without rest.

目的を失ってしまった集団は必然的に弱くなる。特に結びつきなどよっぽどの懐古の念が強くないと維持できるはずがない。十束くん、そして尊を失ってしまった吠舞羅のメンバーがBar HOMURAに集まる日は、目に見えて減っていった後、遂には店自体に人が居なくなってしまった。草薙は何をしているのか店を開け、どこかへと旅立ち、その扉を開くのは美咲くらいになってしまった。私はといえば何がなんだか分からないまま、不在の草薙に代わってBar HOMURAの鍵の管理と店のメンテナンスの命を仰せつかっている。今日もまた、本業の合間に店を開け、草薙仕込みの店の掃除を軽く済ませた後カウンターの内側で珈琲を嗜む。伽藍堂とした店内は昼間の燦々とした陽の光が差し込んでくる。お天道さまには非は決してないが、こうも無邪気な光が逆に気分を鬱屈とさせる。端末を開いても草薙はおろか人一人連絡を寄越してこない。誰か来ようものなら話し相手にでもなってやろう、とずっと此処に立って珈琲を淹れているが、結局いつも飲みきれなくて排水口へと吸われていく。世間は私だけ残して移り変わっていくというのに、私は立ち止まっているままどうも身動きができないでいた。
 そんな中、ドアベルを鳴らしてこちらを見向きもしないうちに二階に上がっていく美咲。またいつものように十束くんが回していたカメラのデータでも見て独り、虚ろな目をしているのだろう。別に美咲を元気づけようとなんて思わない。虚ろな目をしているのは私自身似たようなものだろうし、そんな人間が誰かを説得しようだなんて笑い話である。大体、説得ってなんだ、何を説得すればいい。いつまでも過去にすがらないで一人歩けだなんて、無責任かつ説教じみたこと言えるわけがない。しかし、私自身が彼にしてやれることなどほぼ無いに近いが、美咲の身体を気遣うことくらいはしてあげても罰など当たらないはずだろう。実際、心がズタボロの美咲に飯くらいは何としても食わせてやってくれと草薙から言われている。そんなお節介掛けないでも、仲間が衰弱していくサマを私が見過ごすと思うかと草薙に問えば「ごめんな」としか言わなかった。

「美咲ご飯だよ」
「その名前で呼ぶなっつってんだろ」
「八田、食べて」

 耳を落としたパンの間に挟んだ野菜たちは青々と食べられるのを今か今かと待っている。サンドイッチが並んだ皿とミルクティーが入ったカップをテーブルにわざと音を立てて置くと、美咲はテレビから目を離さず「いらねえ」と呟いた。このやり取りをするのも一度や二度じゃない。皿だけ置いて八田が帰るまで1階で時間を過ごした後、皿を回収しに行くと一番良くて半分ほど無くなっている場合もあるし、全く何も減ってない時もある。最近ではめっきり食欲を初め、欲など何も無いようで、睡眠すら疎かにしているのか目の下に影をつくっている様である。ここ数日では、出した料理に一口口を付けていればいい方で、大体は元の形のまま食べられずに乾燥していた。人間の機能的にはそろそろ栄養を欲するであろうに、指一つこちらへ伸ばしてこない。相変わらずミルクティーは芳醇な香りを醸しているのに、食指一つそそられないとは。

「草薙から八田に食わせろって言われてる私の立場にもなってくれる?」
「……知らねえよ」

 知らないのは草薙からの言いつけか、はたまた草薙自体か。どちらでもいいが、先程述べた通り美咲にここでくたばってもらっては後味が悪い。味は今までと変わらない十束くんお墨付きの味だ、美味しいに違いない。ほら、と一つサンドイッチをつまみ上げて八田の前に差し出すと、いらねえとの言葉と共に、私の手が美咲の手によって振り払われる。思ったよりも勢い良くて、不本意ながらサンドイッチが私の手から飛び、若干埃っぽい床へと着地する。ほんの少しだけ気まずそうにした美咲は、何も知らないとでも言うように目線をテレビに戻した。"食べ物は粗末にしちゃあいけないよ"、幼い頃から刷り込まれてきた教訓から、私の中の何かがぷつりと切れた。

「……そこ、退いてくださいよ」

 気づけば美咲に馬乗りになっていた。ソファが二人分の重みで軋んだ。かつての美咲ならこんなシチュエーションになったら顔を真っ赤にして暴れでもするのだろう。それすらも億劫だというように、だらりと投げ出された腕はピクリとも動かなかった。こんなにされても目線は未だテレビで、私の方なんかチラリとも見やしない。片手で美咲の両頬を掴み、無理やり目線を合わせる。少し驚いた美咲の瞳孔が揺れていた。

「落ち込むのも過去に縋るのも勝手だけど、勝手にくたばれちゃ私が困るんだけど」
「…十束さんも尊さんもいないなら」

 俺なんて、と続けようとした所で美咲の頬を叩く。言わせやしない。言わせてたまるものか。

「残された人の気持ちはお前が一番分かるハズでしょ、八田」

 はっとが何か言いかけた所で美咲の上から退いた。全く私らしくない。頭でも冷やそうと美咲を一人残し階下へ行く。

*

 ここは哀しくなる程良い思い出が詰まりすぎている。私だって大切な人が居なくなったというのにへらへらしていられる程、ノータリンで無いし、強くもない。寂しいとか負の感情を持ってしまうくらいなら、だったらいっそ、そこから離れればいいと思っていた。まさに、美咲と逆な質なのである。思い出に固執するのではなく、離れる。そうすれば思い出も風化して、記憶から薄れるはずだから。今回だって、出来れば、そうしたかった。……草薙が私に鍵を託した意図がそこにあるのも、本当はわかっていた。あえて私を此処に縛り付ける草薙がニクい。私が本当に性格悪い奴で、鍵を持ったまま行方を晦ますとか考えなかったのだろうか。考えないだろう、信頼なんて言葉が陳腐に思えるほどずっと長い間一緒に居たんだもの。鍵なんて無くとも離れられるワケないでしょ…、ねえ。
 ロクに頭に入らないくせに、本のページを捲る手だけは早い。文字の表面をなぞるだけなぞって物語を追ったフリだけをしているだけだ、また気が向いた時に読み直す羽目になるだろう。まあ、それも、いいか。
十束くんに借りっぱなしの紙の本を一昨日、久しぶりに開けた車のダッシュボードの中で見つけた。「この本、凄く泣けるんだよ。アキさん最近泣いてないでしょ、貸してあげるから泣けばいいよ」だなんて変な文句と共に押し付けられたものの、今となっちゃキミたちの事以上に泣ける話なんてあると思うかと十束くんに問いたいものだ。余計なものに涙を流す余裕すらないよ。
ハードカバー仕様の表紙を閉じる。時間的にもうそろそろ美咲が降りてきて、また無言で帰るはずだから、見送るくらいはしてやろうか。階段を降りる音がする。気づかないふりをして端末をいじっていると美咲が戸に手を掛け、ドアベルを控えめに鳴らす。

「……ごちそうさまっした」
「ん」

 美咲が完全にドアを閉めた後、再び二階へ向かう。そこには、上には何も載っていない皿と、中身の無いカップがテーブルに残されていた。それだけこの部屋に対して異質に思えて、でも不思議と不快じゃない。

いつからか、気がつけば煙草を口にしなくなっていたのだけれど、ふと口寂しくなる。煙草でも買って久しぶりにこの部屋で吸ってみようか。灰皿は、まだある。…火を分け合える人はもう、居ないのだけれど。