Silvia

story


あっちこっち

”CLOSE”の札をBarHOMRAのドアにかけた直後 、草薙は店の少し先から聞き慣れた仲間たちの声を認識した。彼らが来るまで少し外で待っていようか、とポケットに入っている筈のシガレットケースを確かめる。そこには期待した膨らみはなく、自分の胸板を軽く叩くに留まった。そういえば、とカウンターの内側に置いてきた事を思い出す。仲間の到着と煙草を天秤にかけ、少しの苛立ちと共に前者を選ぶことにした。途端、自分の背後から自分の愛用のとは違う煙草の煙の匂いが鼻孔をついた。

「オニイサン一本いかが?」

 振り向いたと同時に唇に差し込まれる煙草。草薙はたいして驚く表情も見せずに、「アキ…」と呟いた。続いて「おおきに、」と顔を笑みで歪ませると、近づいてくるアキの顔を受け止めるように、目を伏せた。ジジ…と自分の煙草にアキの煙草の先端によって火が付けられる。アキの顔が離れても、しばらく草薙にまとわりつくのは、煙草の匂いとアキの香水の匂いだった。

「さっきまでいたの、淡島世理…、セプター4の№2でしょ?よくこんな所にくるものだわ」
「こんな所言わんといてな、アキだって嫌いやないんやろ?」
「だから今日だって来たんじゃない」
「おーきに。…それよかアキ、なんで彼女が来てたこと知ってはるん?店の前まで来とったちゃうんか」
「あんなにいい雰囲気だったのに、特攻出来るだなんて八田ちゃんくらいしか知らないわ」

 はは、と笑うと同時にアキは煙を吐く。まるで、その言葉は、言葉の通りの意味で、他意がないとでも言うように、慎重に。どんどん近づいてくる吠舞羅のメンバーの声を待ち遠しそうに耳を傾けるアキに、草薙は無性に彼女の手を取りたくなる。しかし、彼女との関係は、隣にいる彼女との距離が示しているように、微妙なものだった。彼女が誰に対しても平等である距離を、一方的に、脈絡もなく壊すなど許されることではなかった。

「妬いてくれとるん?」
「…まさか」

 語頭の間について、詳しく聞こうと草薙がアキに一歩距離を詰めようとした時に、尊を先頭にして吠舞羅のメンバーが暗がりの先から外灯の下に現れる。そのまま尊は何も言わず、バーの扉を開けて真っ先にソファへと身を投げた。続いて八田が草薙に「うす、」と”ただいま”の意味を込めて挨拶をする。八田の存在に気づいたアキが、ひょっこりと草薙の背後から顔を出した。

「おっ八田ちゃんじゃーん。お帰り!」
「げ…、アキさん…」
「げっ、てなによ、いい加減私の顔見て面倒くさそうな顔するの辞めてくれます?」
「う、うるせえなあああぁあ!お、俺だってお前が草薙さんの古くからの友達じゃなきゃ、んな態度しねえよ…!」
「あら、なんや、八田ちゃん気ィ使ってくれとるん?かわええなあ」
「ハァ!?草薙さんまでなんすか!」
「かわいいねえ」
「あああああ、もう何なんだよ!」

 一人喚きながらバーに入って行く八田を見送り、最後に店に入る事になったアキは、後手でその扉を閉めた。


*


「なんちゅーか、妬いとるのは俺の方なんかね」

 すっかり静まり返ったバーのカウンターの内側で、草薙出雲はグラスを拭く手を止める。サングラス越しに見えるのは、アキの腿を枕代わりにしてソファに横になる尊と、アキの左隣に座るアンナと、二人に挟まれて今にも寝てしまいそうなアキの姿だった。ソファにもたれた頭の位置がずれるのを、反射的に直すのを繰り返すこと数回、瞬く間に規則正しい寝息が隣に座るアンナの耳に届いていた。しかし無意味な草薙のつぶやきは、自身の鼓膜を通る他に行き場所は見つからずにいた。
 アキを傍においておきたい一心で、自らアキを吠舞羅に誘い込んだというのに、草薙は自分のエゴにしてやられた気がしていた。男性ばかりで構成される吠舞羅で唯一の成人女性であるアキに好意を寄せる輩も少なくはなく、その度に自分の立場を特権として睨みを効かせてきたが、キングが相手となると話は別だった。残る希望は、アキの気持ち次第である。

「アンナ、先2階行きて寝る準備しときや」

「うん、尊とあらた…」

「俺が起こしとくさかい」

 アキの身体を動かさないように、慎重にソファから降りると、アンナはスカートを揺らしながら2階へ続く階段へと歩いて行く。カウンターの内側から二人を声で起こすことも可能ではあったが、草薙は静かにアキに歩み寄る。アキの健康的な腿に頭を乗せるキングに少し恨めしさを抱きつつ、アキの白い頬を手の甲でするりと撫ぜる。自分と2つしか変わらない、普段は大人の女性というフレーズが似合うというのに、眠る姿は一段と幼く見える。少し長めの前髪が、アキの瞼を覆う。それをかき上げ、幅の少し狭い額を露わにさせると、草薙はそこに1つだけキスを落とした。キングに見せる、宣戦布告のつもりで。ただ、その本人たちが目を覚まさないことを前提として行動を起こした草薙は、自分の卑怯な部分を垣間見たような気がした。しかし、無防備な姿を見れば見るほど、跡を残したくなる衝動に駆られそうになる。

額だけじゃ足りない。頬にも、瞼にも、あわよくば少ししっとりとした、その真っ赤な唇にも──。

「…末期、やな」

 自分をあざ笑うかのように少し笑う。その笑い声にアキの瞼がぴくりと反応したような気がした。ふと我に返った草薙は、いつもどおりの”草薙出雲”に戻ると、二人に何事もなかったかのような素振りで声をかける。

「二人共はよ起きい。ソファで寝とったら風邪引くで」
「んん、私ここでいい…」
「いいわけあらへんがな、ほれ尊も2階で寝ときや」
「…」

 何も言わず、尊は寝ぼけ眼でふらふらと階段を上がる。眉間の皺はいつもより多く刻まれていたが、目は開いているかどうかは怪しいものだった。万が一階段から落ちても、大丈夫だろうという妙な過信が草薙にあり、目の前のアキを独り占めすることばかりに頭がいく。 一方、膝の錘から開放され、眠気に支配されたアキは、無意識にソファに横になる。断固退きはしない、とでも言うかのように肩を揺さぶる草薙の手を迷惑そうに払う。

「そない反抗ばっかしとると、俺も容赦せえへんよ」

 頬、鼻の先、顎、耳と次々に口付ける。次に耳の裏側近くの首筋にキスを落とそうとした時、草薙の唇にか細い腕が押し付けられた。尊の髪の毛に負けないくらいに顔を真っ赤にしたアキが、身を半分起こす。

「へんっ…たい」
「変態やなんて人聞き悪いですわ。起きないアキちゃんが悪いんとちゃいます?」
「好きでもない人にこんなことするから、タラシって言われるんだよ」
「…アキがそう思っとるならそれでええけど」

 ここまでして、上手く伝わらない。自分とは思っていた方向にアキが思いを汲み取らないことに対して苛立ちを感じる草薙。”好き”の一言で伝えられることを知ってはいるものの、関係が一層悪くなってしまった時の事を考えると一歩が踏み出せずにいる。何をやっているのだろう、と頭を抱えたくなる代わりに、アキに背を向けた。

「わ、私は好きだけどね 出雲のこと」
「…は?」
「あああ、なんでもない!もういいや!うん、帰る!ごめんね長居して、じゃあキングとアンナにもよろし──」

 そそくさと荷物をまとめはじめたアキの小さな背を抱きしめる。「もう一回言ってくれへんか」という草薙の言葉にアキは「何のこと?」と白を切る。草薙は身動ぎするアキを離さないように、逃げられないようにその二本の腕で拘束した。言った言わないの押し問答が続く深夜のHOMRAには二人しかいない。