▽ story

乙女でいること
私が高校2年生になったばかりの頃、淡いピンクのグロスを買った。流石に17歳になる年の子とすれば、化粧の初歩を覚える子が増えてきて、私もそれに憧れた。別にモテたいとかじゃなくて、綺麗になりたいだとか可愛くなりたいとか、多分純粋に私くらいの年頃なら誰しもが持つ願望だったと思う。そのうちグロスだけじゃ物足りなくなって、化粧が上手い友達に、ノウハウを教えてもらい、初心者なりに、あくまでも私相応に化粧をしてみた。普段は、鏡なんてお手洗いに行ったついでにしか見ないくらいなのに、その日は、なんだか特別な気がしていつもと違う自分がなんだかむず痒くて、それでも何故か楽しくて窓ガラスに映る自分が特別に思えた。
「ねっ、クロ、研磨みてみて!化粧してみた」
クロと研磨に、やや興奮気味で披露したのは覚えてる。ずっと昔してくれたみたいに、クロに可愛いって頭を撫でてもらえると思っていた。いつもと違う自分を見せるわけだから、ちょっと気恥ずかしかったけれど、それもまた一興だって。研磨は少し顔を伏せながら「いいと思う、」と言ってくれた。ただ、クロはまじまじと私の顔を見た後、只一言、「ケバい」とだけ言ってそっぽを向きやがったのである。
あれから一年、私は乾燥予防に申し訳程度の色付きリップクリームを塗るか、日焼け止めを顔に塗る程度の化粧の”け”の字も窺えないような生活を送っている。未だにその友達からは「アキ、化粧したほうが可愛いのに」とのお言葉を貰うが、情けないながらもあの時のクロがフラッシュバックするので、あのピンクのグロスすら家の机の引き出しに眠ったままなのである。あの時のクロとしては、『なに色気づいてんだよ』みたいなニュアンスしか無かったのだろうけど、それはもう心にグッサリときましたよ。ふざけんな、自分はどんどんかっこ良くなっていくくせに。
*
服飾部の友達からモデルの依頼を受けたのは、夏休みに入る前の、誰もが浮かれている時期だった。1年前に私に化粧を教えてくれたその子は、文化祭で発表する3年最後の作品を私に着て欲しいと頭を下げたのだった。別に断る理由もないし、私みたいな奴と3年間友達をしてくれていた義理もあったので二つ返事をした。それから友達は、「あとね…」ととても言いにくそうに私にもう一つ、申し出をした。
実は友達が作成している、私が着ることになっているドレスと対になるスーツがあるそうで。そのスーツとドレスは友達の友達(ややこしい)との合作らしく、勿論そのスーツを着る男のモデルが欲しいという。文化祭のステージで二人で出て欲しいとの事だった。特に頓着の無い私は「あ、そうなんだ。スーツの方のモデルは誰にするの?」と適当に問えば、友達は半笑いでこう言ったのだ。
「アキの幼馴染のよしみってことで、黒尾くん誘ってよ」
と。
*
今思えばモデルの本命はクロで、言い方は悪いかもしれないけれど、クロをモデルにするためのダシだったんじゃないかと思えてきた。いや、別にいいけど。
本番前、控室に設置されている姿見に映る私は黒と紫のレースであしらわれたドレスに、胸元には銀縁の大きな宝石を模したネックレスが飾られている。髪の毛もメイクも、生まれてこの方17年間したことのない、まあ大層なもので自分が自分じゃないような感じだった。この感覚は去年も、感じた気がする。クロの一言で消沈したんだけど。
「おー、馬子にも衣装、ってやつ?」
「ぶっ飛ばすぞ」
大きな姿見の、空いている私の左隣にクロが立つ。いつもはジャージか制服か、しか見慣れていないもので、正装しているクロに違和感しか持てなかった(まあ、私もそうなんだけど)。187センチの身長は伊達じゃなくて、スラリとしたシルエットが際立つ。灰色地に黒く細いストライプが入った、襟が黒地で仕立てられたスーツは、まあ、普段じゃ着れないだろうけど(私のドレスもそうだ)お世辞抜きに、格好いい。腹立つ。
「その眠たげな目と、その寝癖何とかなんないの」
「直んねえし、しょうがねえだろ」
「ネクタイも曲がってるし」
「じゃあアキが直して」
直しやすいように、少しクロが屈む。レースの手袋を取って、ネクタイを真っ直ぐに揃える。最後に襟を両サイドから引っ張って、形を整えてやる。何も言わずじっとされるがままのクロがやけに静かで怖い。クロの傍からさっと退くと、クロが顎に手を当てながら「ふうん、」と呟いた。
「なに、」
「いや…見ねえうちにアキも育ったんだなって」
「は?」
視線の先をたどると、ちょうど私の胸の谷間へと行き着く。一応弁解させてもらうと、私が望んで作った谷間ではない。友達が見栄えを良くするために「盛れ」と言ったのだ。
クロもバレーをする以外は普通の男だ。呆れるくらいにただの男だった。それに安心する反面、時折耳にする女の子達へクロへの憧れの気持ちを一蹴してやりたい。確かにバレーする時のクロは格好いいからね、でも実は下心チラチラさせるただの男なんですよ、黒尾鉄朗という男は。
「他にも言うことあるでしょ」
「……綺麗だな?」
「疑問符付けるな馬鹿クロ」
「綺麗だよ」
行き成り声のトーンを落として私を見つめた。先ほどの眠たげな目は何処行ったんだよ、ってつっこみたくなるけど、雰囲気がそうさせなかった。クロが右手で私の腰を引くと、履きなれないヒールの所為もあってバランスを崩しかける。大人しく行き着いた先はクロの胸の中で。離れようとクロの胸に手を押し付けると、クロの空いていた左手が顎に添えられ、グッと顔を持ち上げられる。キスされる、と反射的に目を強く瞑ると、瞼の上に柔らかいものが押し付けられる感覚がした。
「んな顔してんじゃねえよ、ブサイク」
「……ッ!最悪、本当クロ最悪、嫌い」
本当は去年も今も、クロに綺麗だよって、可愛いよって褒められたりなんかしたらどうなっちゃうんだろう、なんて浮かれたところがあったから、そうやって、見向きもされないと悲しくてしょうがないんだよ。お互い一緒に年を重ねていくうちに、かわいいなんて言ってくれなくなったから、悔しくて寂しくてしょうがなかったのに、いざ着飾ったらこれだよ。本当嫌になる、腹立つ。こんなにも何をしてもクロはかっこ良くてしょうがないのに、
「それ、二回目。俺のこと嫌いって言ったの」
「……は?」
「去年も言っただろ、嫌いだって」
「何それ、いつ」
「アキが化粧した時」
悲しさと、イライラがドロドロしたところに、またイライラが加算される。そうだ、あの時もケバいって、言われた時、何も分かってくれなかったクロに腹立って「嫌い」って言った気がする。だからなんだよ、私の事散々ケバいだのブサイクだの言うくせに。自分で女々しいって思うけど、結構根に思ってるんだからな。その理由さえ知らないくせに被害者みたいな顔してんなよ。
「じゃあクロもケバいだとかブサイクだとか言うな」
「アキ可愛い綺麗美人」
「すごく嘘っぽく聞こえるんだけど」
「いや、マジで本当」
取り敢えずその腰に回した腕を離せよ、と身を捩ると、さらに腕に力を込められた。研磨ならまだしも、クロに力で勝てるなんて思ってはいない。再び空いた左手も、私の腰の後ろで組まれていて、チラリと姿見を見れば、どう見ても恋人のそれにしか見えなかった。なんだか凄く恥ずかしくて、視線をクロの胸元に戻す。
「ホラ、アキも嫌いっての撤回して」
「……クロ、キライジャナイヨ」
「違うだろ、嫌いの反対は?」
「…スキ?」
「疑問符付けんな」
「好き」
一回口から飛び出ると、そのまま紐で繋がれたように全部口から出そうになって、慌てて口を手で塞ぐ。好き、そう、好き。クロが好き。去年化粧しようと思ったのも、モテたいとかなんかじゃない、どんどんかっこ良くなっていくクロの隣に立とうと思ったから。じゃあそれすらも否定されたらどうだ、どうすればいいのか分からなくなっちゃうじゃん。ただの幼馴染でずっとやっていこうと思えるほどポジティブじゃない。
口を塞いでいた手を、小指からそっと剥がされる。無駄に私も強気になるものだから、「何するんじゃ」とドつこうとすれば、クロが、両手を私の両肩に置いて顔を近づけてくる。
「俺も、好き」
服飾部のステージはそれはもう、大成功以外の何物でもなくて。ステージ後に散々クロと共に友人たちや男子バレー部らに囲まれた後、久しぶりにメールをチェックすると、研磨からメールをが来ていた。体育館の端で見ていたという報告の数行先に『おめでとう』と一言添えてあったのもまた、私にとって事件であったりするのである。