Silvia

story


ラスト5秒のモチベーション

「アキさん、俺アキさんを抱きたい」
 
 ド直球な飛雄の告白に思わず飲みかけていた缶ビールを吹き出しそうになる。一応念の為に言っておくけれども、お酒を飲んでいるのは成人している私一人だ。目の前の健全な男子高校生(それもピチピチの高校1年生で誕生日を迎えてもいないから15歳だ)にお酒を飲ませるなど言語道断、私のモラルに反するので手を付けようものなら手を出してやる。おつまみは例外として、食べてもヨシとしているけれど。いやいやいや、とへらりと躱してみると「俺、真剣なんです」と真っ直ぐな眼が私を射抜く。正座して膝の上に握りこぶしを作る飛雄ちゃんは、私を抱くというか、もう寧ろ、抱かれたほうが似つかわしいのじゃないかと思うくらいの初々しさで、正直頭がくらり、とする。

「ウン…あのネ、その気持は嬉しいんだけどさ、まだ飛雄ちゃん15っしょ?私犯罪になっちゃうんだけど」
「年齢とか関係あるんすか」
「大いにアリアリだからね。好きな人とセックスしたいとか、そりゃ健全な思考だと思うよ、普通だよ。最近じゃ中学生でも大人の階段登っちゃうって例も少なくないみたいだし、そういう意味で言ってるんじゃなくてさ。成人してる私とするのが問題なの」

 何を間違ったか、5歳も年下の男の子と付き合うだなんて思ってもみなかったけれど、全てにおいて何もかもが初々しい。傷ひとつ付けられてない陶器に触れるような思いで飛雄と過ごすと、飛雄にとってはそれがもう腹ただしいようで、時折私にがっつく。それでもキス以上の事は何が何でも止めている私は、青少年の健全に努めなければならない義務をギリギリ果たしていると思う。どうしてもそれが飛雄にとっては不満なようで、冒頭に至るのである。

「冷たいこと言うようだけどさ、私を好きになった自分を恨みなよ。こればかりは正直どうしようもないし。飛雄が今直ぐ成人できるわけでも、私が未成年になれるわけでもない。飛雄も人様の子なんだし、立場的に下手に扱うこと出来ないの。オッケー?」
「……うす」

 納得はいくけど”不満”を全面的に主張する飛雄。今日も部活で散々汗流してきただろうに、何が欲求不満なの?と聞けばそれとこれとは話が違う、という。おかしいな、高校の時にやった保健体育の授業では欲求の発散はスポーツでも出来ると習ったはずなんだけど。
 本日2本目の缶ビールのプルタブを開けると、飲み口から泡が吹き出す。慌てて口を付けると口いっぱいに独特の苦味が広がった。私はもう、この味に親しめなかった頃の私ではない。自分から進んで苦味を求めていくような大人になってしまった。飛雄と違って大人になりたかったわけじゃない。なって、しまったんだ。

「アキさん、口に泡付いてます」
「マジ、」

 拭おうとした手を大きな飛雄の手が制す。飛雄の顔が近づいてきたと思うと、形の良い唇の隙間から舌が覗いた。べろり、と口の端を舐めとると、なんとも言いがたい表情をする。

「…不味い」
「だろうね。私も飛雄くらいの頃に間違ってビール飲んだことあるケド、何が美味しいのか分からなかったもん」
「…またそうやって俺を子供扱いするんすね」
「違うよ、私が勝手に大人になっただけだよ。それで出来た必然的な差だよ」

 飛雄が私を好きと言った時は、全力で私は否定した。同じ年頃の子と恋愛したほうが飛雄の為にもいいと思う、で通したのだけれど、飛雄は断固として首を縦に振らなかった。恋愛は何があるか分からない、からこそ飛雄の青春を無駄にしたくない。それが私にとっても飛雄にとっても結果的にいいことなのだし、それでもこういう関係になったからこそ私にはそれに務める義務がある。飛雄は理解しているけれど、それをも越えようと私に触れようとする。万が一、飛雄の理性がぶっ飛んだら力で勝てるとも思えないし、こうやって精神的に抑制させるしか手立てが無いのだ。それで飛雄が私に愛想を尽かすのだったら、それまでだし、諦めも多分、つく。

「…ホラ、もう10時だよ、明日も早いんだから帰りな。送ってあげるから。…お酒飲んだから徒歩だけど」
「俺が送られてどうするんすか、アキさん酔ってるし外出ないほうがいいっす」
「酔ってないけど、じゃあ玄関までね」

 前を行く飛雄の黒地のジャージの背中に烏野高校、と学校名が入っている。私がまだ烏野の生徒だった頃は、まだ苦味の良さを知ることが出来ない、ただ目の前のことに夢中になる事だけが生きることだと思っていた。今は、違う。自分の保身に頭を回す卑怯な大人に成り下がってしまったんだよ、だから、飛雄を見ていると昔の自分を思い出すようで、少しだけ辛い。
 玄関で座り込んでスニーカーを履く飛雄の頭を手の平でぐりぐりと撫でる。ちょっとだけ不服そうな顔をして隣に立つ私を見上げた。子供扱いするな、とでも言うような目線が痛い。靴紐を結び終わった飛雄が立ち上がる。

「じゃあ、またね。明日はゼミの研究で帰って来るの遅くなりそうだから、来るなら明後日ね」
「行きます」
「疲れてたら直帰したっていいんだからね」
「いや、行くっす」
「可愛いなあ、飛雄ちゃんは」

 なんだか離れがたくて中身が無いような会話をする。それでも、見切りを付けなければと思う私はなんて悲しい女なのだろう。「それじゃ、明後日ね」と玄関のドアを開けると、飛雄は大人しく外にでる。後は、ドアを閉めるだけ。

「アキさん、キスしてもいい、すか」

 いいだのダメだの言う前に飛雄は少し身を屈めて私に口付けた。眼を瞑る暇もないくらいの一瞬の出来事だったが、恥ずかしくなったのか、飛雄は「お邪魔しました」と残すと早々にアパートの階段を降りていった。
ディープキスも知らないような、初心者のキスみたいなものなのに私の何かが崩れ落ちそうだった。飛雄の理性を抑制する前に私がどうにかなりそうだったぞ、馬鹿野郎。閉めたドアに背を預けて思わず座り込む。なんだか少しだけ泣きたい気分になった。