Silvia

story


指先から弾けて三秒

月島蛍にとって、席替えなぞ物憂い以外の何物でもなかった。今の定位置から動くのが面倒だったし、自ら協調性の欠片もないと思うほど、周囲の人間と打ち解けるだなんて柄ではないと。あまり気の進まない中、クラス委員が用意した紙袋の中に手をつっこんだ。黒板に書かれた座席表と照らし合わせると、三列ある内の真ん中の列一番後ろの席だった。まあ、悪くは無いと腰を上げて机を動かした。

*

「ねえ、こっち見ないでくれる」
「い・や」

 左隣から発せられる熱烈な視線に、月島は辟易とする。やはり席替えなぞロクなものではないと月島は背中を丸めた。隣の席に座ったのは、新藤アキという女子生徒っだった。今までなら気にも留まらないような人間のうちの一人であったのに、あまりにも簡単に月島の意識の中へと入り込んでいく。机に上半身を伏せ、上目気味に月島の顔をじっと見つめる。

「授業聞きなよ」
「月島見ていたほうが楽しい」
「なんで」
「かっこいいからかなあ、目の保養になる」

 その目を塞いでやろうか、とでも思ったが具体的な手が浮かばないので無視を徹することに決めた。ノートを執る手を再開する。黒板とノートを交互に見やる度にちらりと視界の端に映るアキに月島はイライラが募る。あのさあ、と再び口を開きかけた。

「新藤、寝てるんじゃない。33ページ5行目から和訳してみろ」
「すみませんでしたー。ええと…”喧嘩している内の一人が背の高い男を殴ると、彼の帽子が地面に落ちた”」
「いいだろう、寝ずに聴くんだぞ」
「はあい」

 アキはぐっと背筋を伸ばすと、一瞬にして力を抜く。そして、再び頬杖を付いて月島を見つめるのである。
 席替えで月島の隣に陣取った時から二日程経つが、アキは月島の横顔しか見れていなかった。こちらが執拗に月島を凝視するものだから、月島も無意識的に顔を合わせるということをしなかったのかもしれない。アキが回りこんで顔を覗きこもうとする度に顔を背け続けた。

*

「正直疲れるんだけど」
「そんなに私月島の精神削いでる?」
「相当、ね」

 人に見つめられて落ち着く人間がどの程いるのだろうか。月島といえども全く気にならないはずがない。次の授業を待つ間もこうしてアキがこちらを向いている。いい加減首でも痛くならないものだろうかと、月島は眉間の皺を増やした。そうか、と月島は一つ思い立つ。目には目を歯には歯をと言う言葉が頭をよぎった。

「ねえ新藤」
「なあに」

 名前を呼ばれたアキが心なしか楽しそうに月島に返事をした。月島はその体格通りの大きな手で、まるでハンバーガーを掴むようにアキの頬を挟み掴む。目を丸くするアキが何をするんだと抗議の目を月島に向けるが、月島はその手の力を強めることで対抗した。
 アキの顔を固定したまま、月島はアキの顔にぎりぎりの距離まで顔を近づけた。じいっと何も言わないままアキの目を見つめる。反射的にアキは顔を背けようとするが、月島のその力には逆らうことは出来なかった。せめてもと眼球を右方向に、視線をずらすが月島の頭がその視線を追う。縦横無尽に月島はアキの瞳を見つめ続けた。
月島の手の平にアキの顔の熱が移る。アキの強張った肩の力が抜けたかと思うと、口を一文字に結ぶ。月島が異変に気づいた時には、アキの耳は赤く染まり、目尻には涙が浮かんでいた。不味い、と月島が手を離した途端にアキが月島と真反対を向く。その頬には赤い指の跡がかすかに残っていた。

 それ以来、アキが月島を見つめることはおろか、月島の方をちらりとも見やろうともしなかった。月島が用事を理由に話しかけてみても、どこか上の空な返事をするだけだった。自ら蒔いた種ではあるが、調子が狂うと月島は苦虫を噛んだ。ごめん、と一言謝ってしまえば粗方解決はするのだろうけど、ただ単に月島の行動が悪戯の類だと認める事になる。それを避けたい、というのが月島の考えだった。あの時のアキの態度から月島に対する気持ちに気づかないわけがないのだから。
 
*

 月島は人気のない廊下を進む。部活の休憩時間になんとなく山口が口にした数学の課題の話題に、教室にノートを置いてきたことを思い出したからであった。帰宅して風呂に入ってからやるか、と気の進まない計画を立てつつ教室へと向かう。後ろの扉は開き放しだった。月島は教室内に足を踏み入れようとして、思わず立ち止まる。自分の席の隣、アキの席に本人が座っていたからであった。アキは机に顔を左方向―月島の席の方―に向けていたので、月島からは表情が窺えない。自分の存在に気づいているかも怪しいところであった。

「……新藤」

 打たれたように肩が跳ねる。身を起こして信じられないものを見たような目のアキが月島を捉えた。久しぶりにアキの顔を見たような気がする、と月島はアキに近づく。

「月島……来ないで」
「来ないで、って言われてもノート取りに来たんだけど」
「じゃあさっさと取って帰って」
「キミがそういう事言う権利も僕が従う義務も無いから却下させてもらうよ」

 月島が一歩一歩進む度にアキは下唇を噛む力を強めた。少し長い前髪がカーテンとなり、アキの表情を隠す。カタン、と椅子を動かした音でさえ落ち着かない様子のアキを月島は見下ろした。机から目当てのノートを取り出し、鞄にしまう。それから、アキの席に面する通路側に移動すると、月島はその場にしゃがみこんだ。子供に目線を合わせる時みたく、うつむきがちなアキの顔を覗き込むと案の定逸らされる。

「ねえ、ちゃんと僕の方見て」
「……」
「はやく」

 急かすように月島は手をアキの頬に伸ばした。デジャヴがアキを襲う。慌てて両手で自分の顔を隠した。見る必要も、顔を見られる事もない彼女なりの最善の策がそれであった。月島は中腰になり、そのか細い手首に手を掛ける。

「顔、見せてよ」
「やだ」
「ねえ、アキ」

 怒られた子供が指の間から親の様子を伺うみたいに、月島にばれないように指を動かした。勿論月島にバレないはずがなくて、隙を疲れて両手首が月島の方に引っ張られる。「うわ、」とバランスを崩すと、月島の胸の中に顔を埋める形になる。

「こうすれば顔が見えないでしょ、言いたいこと言いなよ」