Silvia

story


歪んだ金色

※男主人公

  最近では、有名な某モデルプロデューサーの殺人事件が世間を賑わせていた。おそらく、この情報社会においては、その注目度の寿命も儚いものではあるものの、当事者としてはその寿命の一分一分が長いものに思える。電車の週刊誌の中吊り広告の煽り文には”プロデューサー殺人事件、喰種による犯行か”なんてなんの捻りもない嫌になるほどストレートな文がゴシック体で飾られている。その一文だけで突っ込みどころは満載なのだけれど─喰種によるなら“犯行”ではなく、どちらかというと“食事”だとか─事件の一から百まで知っている俺にとってはどうでもいいことだった。
 事の発端は、俗にいう枕営業に嫌気が差したモデル陣による世間への暴露計画だった。同性の若手モデルを仕事斡旋を餌に言葉巧みに誘い、自分の性欲の捌け口にする悪質さに耐え切れなかった数人が世間への公表を武器にプロデューサーへ掛け合ったらしい。が、プロデューサーの名は意外にも伊達では無かったらしく、相当な人脈を使い揉み消したという。立場の弱いモデル側は、最後の手だとプロデューサーを死に至らしめたらしい。と、ここまでは伝聞で、  たまたま 犯人が去った後の現場に居合わせてしまった俺は、少し脚色でもしておくかと胸部と肘から先を咀嚼したのである。見る限り、致命傷は頭部を殴打されたものであるが、何も知らない人が見れば喰われているというだけで喰種に犯人を絞るだろう。俺自身も何度かセクハラ被害に合ったわけだし、このくらいの報いは受けてもらおうかなあなんて軽い気持ちだった。

*

「今日も、違う人のニオイがするんだね」

 ウタくんに首筋を鼻で突かれながら匂いを嗅がれる。そういえば、昼間に事務所であのおっさんにしつこく触られたからその時についたかなあと思いを巡らせる。“違う人のニオイがする”だなんて、“ぼく以外の人のニオイをつけて不快だなあ”に言い換えても可笑しくはないのは割りと長い付き合いのうちで理解できたことの一つだった。小さい頃から何人かの喰種とつるんではいたけれど、今じゃ駆逐されたり餓死でその当時の知り合いはもういない。でもウタくんはとても強いからその心配もないし、何より格好いいので単純に好きだなあなんて脳天気な気持ちでいるのだけれどウタくんはそうじゃないみたい。

「またセクハラ親父にやられたの。あいつホントしつけーし、喰べちゃおっかなあ」
「アキくんにはもっと気をつけて、欲しいな」

 アキくんはかわいいから、と肩甲骨の下に入っているタトゥーを舐める。可愛いだなんて形容詞は普通180センチも超えた男に使うものじゃない。返すように美人で強くて、憧れてるんだよと漏らせば「ありがと」と小さく笑ったウタくんのほうが可愛い。肥えた人間の丸みを帯びたソーセージのような汚い指と違って、ウタくんの指はしなやかで余分なところなど一つもなくて、多分、ウタくんが人間だったらその指欲しさに喰っていたかもしれない。ふと、対称的に昼間にプロデューサーに唇を指でなぞられた時の感触がいかに気持ち悪かったかが思い出される。噛みちぎって、排水口にでも流してやろうかなんて思うほどに。

*

 プロデューサーが死んだ日から事務所内は騒然としていたものの、海面から顔を上げてやっとの思いで新鮮な空気を吸えたような顔をした奴らが多かった。俺が思っている以上にアイツの魔の手は忍び寄っていたらしく、コネを使わなくても仕事をもらえていた俺等と違って、一部の奴らは余程酷い扱いを受けたらしい。“死んで当然”なんて言葉が身近に飛ぶだなんて、と少し釈然とはしなかったけれど。俺も人間社会から見ればどちらかというと“悪”の側に居るので、喰種捜査官のような“悪は死滅して当然だ”という考え方が基本的には受け付けられない。しかし、時間が経てばこのような雰囲気も風化することだろう、と思っていた矢先の事だった。アイツが死んでから4日め、その日はなんだか前述の雰囲気とは違っていた。
 前日までやれアイツが死んで良かっただの、仕事がどうだの他愛もない話をしていた同僚を始め、後輩達までもが俺を避けるようにして─時には怯えた顔すら─いる。俺は知っている。あの態度は俺の正体を知ったか、若しくは俺が喰種ではないかと疑っているときのものだ。…経験則、だった。俺はまたか、と溜息の代わりに胃液が口から漏れそうだった。誰かしら喰種捜査局に連絡を入れるのも時間の問題だろう。身体が震えた。出来るだけ早くこの場所から、環境から身を引かなければならい。今度こそは上手くいくと思っていた。巧妙なバックグラウンドの構成、食事の問題も“モデルだから太れないんだよね”の一言で済んだので、極力本来の食事でさえ避けて殆ど人間のそれと違わない生活を送っていたというのに。やはり人間社会に溶け込むなぞ、夢のまた夢だったのか。

 それからは己のフットワークの軽さに感謝するだけだった。住んでいた家を引き払い、偽造した身分証も捨て、携帯も解約をした。事務所に渡してある個人情報も名前から足のサイズまでウソまみれの真実など一つもない、ただの気まぐれな記号の集合であるから特に問題はない。その日のうちに、ファッションモデルとしての新藤アキは忽然と姿を消したことに成る。ただ、携帯の端末を破棄する際に来ていた『あの時、喰ったのはお前だったのか』というメッセージに嫌悪が差した。差出人は俺が最も仲の良いと思っていた同僚で、プロデューサー殺人の犯人で、俺が喰種だと周囲に吹聴した当事者だった。
 俺はあの時、その同僚が殺人を犯した現場に出くわしていた。人間にとってはその人生において人を殺すなど必要のないものであり、そのことの重大性は喰種の俺でも知っていた。だから、その罪に覆いかぶさるように殺人の脚色をしたというのに。その本人はおろか誰にも言えない秘密ではあったものの、俺は友人を救った気がしてヒーロー気取りだった。実に馬鹿らしい。
 推測するに、現場に戻ってきた友人がアイツを喰っている俺を見てしまったというところだろう。俺も心の中のどこかでは、俺が喰種だって知られても、危害を加えない意思と真摯さでなんとかなるだなんて甘っちょろいことを考えていた。しかし現実では俺の足場を確実に崩していく。

 車掌のアナウンスが酷くゆっくりに聞こえた。平日の昼下がりの今頃、いつもならたくさんの灯体に囲まれて、被写体と化しているはずなのに、今俺を囲むのは目まぐるしく過ぎていく景色と太陽光だった。

*

 Hysy Artmask studioに行く前に、駅前の量販店で髪染め液を購入した。流石に個人情報を偽っていたと言っても、写真はいくらでも残っているので、せめて髪色だけでも変えようと。元々脱色した金髪なので、どの色でも染めやすいだろうと片っ端から染め粉を買い物カゴに放る姿は異様に見えていただろう。袋二つを抱えてウタくんの店へと向かった。


「ウタくんの好きな色にして」

 どれでもいいよ、と袋を床に置いて、服を脱ぐ。洗面所で頭を濡らして、首にタオルを掛けて出てくると、染め粉の箱を一つ一つじっくりとその嚇眼が追っていく。ウタくんの座っている前に椅子を持ちだして座り、はい、と仰向けで頭を突き出す。ウタくんは何も聞かずに俺の髪の毛を手で梳いた。脱色しすぎて傷んだ金髪がウタくんの指に引っかかっては絡みつく。目を瞑ってしばらくすると、染め粉独特の鼻を突くようなニオイがした。そのうち、俺の髪に液が塗布され、時たま地肌にその冷たさが触れた。
 
「アキくん、少し疲れてるんじゃない」
「少しじゃねえよ、すっげ疲れてる」

 言葉にしたら、なんだか意識してないのに肩と肺のあたりが下がって、湿気った溜息が出た。今ウタくんに泣いていいよなんて言われたら、遠慮しないで泣ける気がする。ウタくんは俺を何処までも甘やかすから、思わず縋りたくなってしまう。
 所詮喰種は喰種だった。人混みに紛れても染まりきることなんて出来やしないことなんて、誰しもが理解しているはずの事を定期的に忘れてしまう自分の愚かさが嫌いだった。どんなに足掻こうと、床に落とされた墨汁の黒点のような疎ましい存在だというのに。つまらないバッドエンドを迎えるのも1回や2回の話ではないというのに、もう色々とどうこう考えあぐねるのも阿呆くさい。人間のふりをするのはもう辞めよう。俺は喰種だから。

「ね、ウタくん、喰種で楽しいことってあるかな」
「…変なことを聞くんだね、ぼくらで楽しいこと、すればいいんだよ?」
「ウタくんと一緒に行けば楽しくなる?」

 イエス、の代わりなのか、ウタくんは俺の額に一つキスを落とした。

*

「うっわ、すっげえ地味ッ」

 手渡された手鏡に映った自分は、白金だったそれから真っ黒になっていた。就活生のような、真面目な学生のような風貌に笑いを隠せなかった。思わず毛先を取って目の前に持ってきても、黒以外の何者でもなかった。元の毛の色より暗くなった髪の毛の自分が見慣れなくて、そわそわしていると、ウタくんが俺の耳元まで口をやってこう言った。

「ぼくと、おそろいだね」

って。