▽ story

知らぬふり
知り合いの喰種は、人間の女と付き合っているらしい。まだ食べては居ないそうだ。食べていないどころか、”これからも食べる気なぞ起きない”だそうで、その女の顔を思い出しているのか、眼鏡の奥で彼らしくないやわらかな笑みを私に向けた。あ、そう、と興味のわかないフリをして、昨日食べた男の事を思い出した。
私が(食べるのに)主に好む男は、同じような年頃の平均身長よりは低めの、日光に当たりすぎない少し脂の乗った冴えない男だった。類は友を呼ぶ、という言葉にも有るように、冴えない男は地味な女を好むらしく、錦っぽく言うと”クソ真面目”を装った私はストライクゾーンど真ん中らしく、少し気を許すだけで何も知らない男共は私の肥やしとなった。時折行きつけの喫茶店”あんていく”に行方不明者の捜索団体が、先日喰べた男の顔写真入りのビラを持って協力要請しに来た時は失笑モノだったけれど、私は何一つ喰った奴らに同情の余地など持ち合わせていなかった。
人間となんて分かり合おうとするだけ無駄でしょう、豚と人間が分かり合えないように喰種と人間が分かり合えるはずもない。いい例として、この世界の政治が、システムが、喰種を必要としていない社会を作り上げている。まるで害虫を駆逐するような扱いをされているというのに相容れることが出来ると思うのか。
先日食べた男の目玉を手土産にHySy ArtMask Studioへと向かう。地味な格好は好きじゃない。長い髪の毛で隠していた耳朶に空いている穴一つ一つに飾りを付け、一般的に言われるパンクファッションに身を落ち着けた私はヒールを鳴らしながら4区に繋がる電車へと乗り込む。途中で決して品のいいとは言えない喰種に絡まれるのを嚇眼と共に睨みつけ一蹴しつつウタの元へと着実に足を進めた。
20区と4区の差は雲泥である。都会の喧騒という言葉が最も適当に当てはまるのに対して、20区はとても穏やかだった。何より、緑が多い。ただ数キロ離れただけでこうもガラッと景色が変わるのも面白いと思う。何も目に見えて区切られているわけでもなく、更に言えば陸続きだというのにこうも異なるものなのか。元は20区出身の、喰種にしてはいいトコの出ではあるが、なんやかんやで4区に身を落ち着けている今のほうが楽だ。穏やかなのは性に合わないのもあるが、まあ、あの男がここに居るのも大きい。
時刻は21時を過ぎている。案の定ウタの店のドアには”CLOSED”の札が下げられていた。しかし、まるで私が来ることがわかっていたかのように施錠されては居なかった。今日みたいな天気の悪い週のど真ん中は余り客が来ないとぼやいていたし、もしかしたら早めに店を閉めて帰宅しているという線も捨てきれなかったのだけれど、こちらで正解だったようだ。照明が2,3個までに落とされた室内は視界が良いとは言えない。来客を知らせるようドアを閉める音は大きめにしておいたのだから、ウタが私の存在に気づかないはずがない。きっとこの暗がりに乗じて驚かしに来るか─、前に来ていたという“かねきくん”と呼ばれていた喰種もウタに盛大にやられたというものだから質が悪い。
「出迎えてくれないのなら帰ろうかな、手土産が有るんだけど…無駄になっちゃったかな」
とても大きな独り言。ウタの気配を感じ取れているのは確かなので、正確に言うと問いかけに近い。その問いかけに答えたかのように息を吐く音が聞こえた。作業台の下、椅子をどけて覗きこむと脚を折り、縮こまって隠れていた(らしい)ウタが「やあ、いらっしゃい」と右手を上げて少し笑った。
*
「これは盛大にやったね」
手土産の目玉を囓りつつ、ウタが頷きながら私のマスクを様々な方向から観察をする。私のマスクは大分前にウタに作ってもらったもので、外国のファンタジーアニメに出てくる化け物を模したそれは、一見コミカルに見えるが、どこか禍々しい雰囲気を放っている。そのマスクの、マスクを付けたまま食事ができるよう口元に設けられたファスナーの根本から耳のあたりまで裂けてしまったのも昨日のことだった。不意に男の隙を突いて喰らおうとしたところ、抵抗された際に男の指が引っかかり、そのまま生地を持って行かれてしまったのだ。
「ウタ、ごめん」
「謝ることはないよ…、でもさ、いつも通りに一対一で人目の付かない所でやったんでしょ…?マスク、いつも付けてるんだ?」
そう、いつも決まって相手宅に上手く招かれた後、相手がシャワーを浴びている隙に襲う、というのが定石だった。…何より、女性経験の浅い男は浮かれて心の隙ができる場面であるからだ。更に言えば、浮かれ具合を女である私に隠すのは当たり前のこと、つまり一人になれば必然とその度合も上がるというもの。そしてその油断している最中に襲い、そのままバスルームで食事を終わせて、出来るだけ丁寧に水で痕跡を流す。出来るだけ事件性が明らかになるのを遅らせる最善の方法が今のところそれだった。……ウタに作ってもらったマスクも当然付ける。バスルームに設置された鏡に食事をする私の顔が映し出されるのが酷く嫌いだからだ。この世に生まれてきたことに対して自暴自棄になりそうなほど醜い。酷く醜い。しかし、ウタから貰ったマスクを付けると不思議と気分が高揚して──、返り血を浴びた私の姿さえ美しく思えるのだ。
ウタの言いたいことは分かる。何も人目の付かないところで致しているのなら、マスクなど要らないだろう、と。しかし私にもこのような込み入った問題があるのだ。
「…まあ、ね」
「なんなら、新しいマスク…作ろうか。大分使い込んでるみたいだし…」
「いや、直してくれるだけでいいよ。気に入ってるし」
「…そっか」
そして、月一回の食事を終えた数日間は寝付きが悪くなる。良くも悪くも喰種であるのにもかかわらず、人間社会の倫理観を持った親の元に生まれた私には、少なからず罪悪感が纏わりつくのであった。それが悪夢化とし、睡眠すら禄に取れたものでない。睡魔は正常に私の眠りを誘うが、それは瞼の上辺りを重くするだけで、本来的な睡眠へと至らないのである。しかし、ウタのところへと訪問してみるとどうだ、不眠など無かったかのように、成る。それに気づいた時から、私は食事の後はウタのところへ寄るのが習慣となっていた。
欠伸を一つ、呼吸とともに押し出すと、ウタがマスクから目線を上げて私を見やる。
「…眠いんだ?」
首を傾げて問うと、サラリと黒髪が揺れた。ここの雰囲気に落ち着いてしまうのか、はたまた隣に居るのがウタだからなのか。久々に感じる混じりけのない睡眠欲が私を迎える。
「少し、眠いかも…。そこでいいから少し寝ていいかな」
来客用の椅子に腰掛け、壁を背もたれにして眠りの姿勢に入る。私の体温が高いのかもしれない、ひやりと背中を伝う冷たさが心地よい。マスクの修復作業が終わるまで仮眠を取らせてもらうつもりだ。今日中に終わらないようなら、また出直すつもりだと告げる。
「女のコにそんなところで寝かせられない…かな。奥で寝てるといいよ、出来たら起こしてあげるから…。泊まってくれてもいいし…」
「…じゃあ、お言葉に甘えて」
ウタの作業場とはまた違う一室は、ブランケットが無造作にかけられたソファが置いてある。ウタが作業の合間に仮眠をしているというそこに、スカートが皺になるのも構いなく身を預ける。ほんのりと、ムスクの香の匂いが鼻孔と、胸を満たす。
…と、そこにてっきり作業に没頭しているものだと思っていたウタが顔をだす。雑に掛けられたブランケットを、しっかりと私を包むようにかけ直した。
「…おやすみ」
瞼に掛かった前髪をウタが、そのしなやかな指先で払う。ついでにぽんぽん、と二回、私の頭を撫でてウタは部屋を出て行った。
…好きというにはまだ烏滸がましさが残っているようで、断言は出来ない。ウタも私を決して嫌いなわけではないだろうけれど、私とウタが恋人同士だなんて非常に語呂の悪いような関係は想像できずに居る。この感情に人はなんて名前を付けるのだろうか。血を甘く煮詰めた、胸焼けがするような思考もまどろみによって底へと仕舞われていく。
*
一瞬、ここが何処だか分からなかった。コンクリート打ちっぱなしの高い天井が、自室のものと違う、という漠然とした認識だけのみが脳を通って行った。次第に自分が眠る以前の環境を思い出す。霞がかった視界も、眼球を、2,3回ぐるぐると回すとクリアになる。途中で、視界の端に違和感を感じて、首をその方向にやると、ウタがこちらをまじまじと見つめているのに気づく。少し心臓が跳ねかかったが、正常を装う。
「人の寝ているところの観察だなんて趣味が悪い…、それに修復終わったら起こすって」
「ごめんごめん…。あまりにも幸せそうに寝ているから……、つい」
ついってなんだ、と頭の中で吐き捨てる。取り敢えず終わったのならマスクを受け取って帰ろう、と身を起こし、付けたままの腕時計に目を落とす。…私の見間違えでなければ、時計の短針は2を指し、長針はぐるりと180度を過ぎた頃だった。勿論、昼ではない。歩いて帰れないこともないが…、トータルすると面倒極まりない。という思考を読み取ったのか、ウタは泊まってもいいと進言をする。出来ればそれは回避したいと考えあぐねるが結局は帰るか留まるかの二択なことには変わりがない。
「…明日はお店、休みだし、ぼくの話し相手になってくれると嬉しいんだけど」
「…そこまで言うのなら…」
マスクを直してもらった手前、あまり強く出られそうにない。渋々首を縦に振った。ウタは珍しく満足そうなカオをすると、私に修復済みのマスクを渡す。もう既に慣れた皮の質感に心なしか安心する。裂けたところを上手くアレンジしたところを見ると、修復というよりはリメイクのほうが近いのかもしれない。
「どうかな」
「すごく、いいと思う」
ウタのセンスには時折脱帽させられる。喰種捜査局からの目眩ましが本来の目的だが、そんなことはもとより、芸術性について感心をせずにはいられない。中々に私も口が達者な方ではないので、簡素な感想しか述べられないけれど。
「…よかった」
私の手からマスクを取り上げる。その目的も見えないまま、疑問の目線をウタに向けると、急に視界が暗転する。慣れたマスクの皮のニオイで、ウタによってマスクを被せられたのだと判断した。一瞬だけ遮られた視界は、目の部分に開けられた穴によって再び明るさを手にする。うんうん、と頷くウタを尻目にマスクを外そうとすると、膝から手を浮かせた所で両手を捕られた。そして、マスク越し、口元に付けられたファスナーの上に、ウタが硬い金属の上を唇でなぞった。
「…じゃあ、何の話からしようか」
自分から私を混乱させておいて、話題を振るなどなんて卑怯な男なのであろうか。まだ夜が明けるまで時間は十分にあるね、だなんて余計に私の心臓に負担をかけるような台詞は本当に止めて欲しい。