▽ story

装弾
シャレにならないくらい今の俺の顔はひきつっていると思う。向かいから歩いてくる人々が皆、俺の顔を見ては、”見てはいけないものを見た”ような表情をして、俺を避けて歩く。
潔癖気味な俺としては何日も同じ服装で歩くなど言語道断なのだけれど、今はそんなことを気にしている余裕など無い。どこにも行く宛が無く、このあたりの土地勘も無いので、しょうがなく脇道を通り、住宅街へと進む。どの位歩いてきたかは分からないが、少なくとも自宅の近辺の住宅街ではないはずだ。突き当りを適当に右に曲がると、塗装が禿げたベンチと、砂場があるだけの簡素な公園を見つける。夜だということもあってか、当たり前のように人はいない。頭を整理するため、その公園のベンチに座る。ジジ…と光がブレる街灯だけが唯一、辺りを照らす光源だった。自販機でもあればコーヒーでも買って一息つきたいところだが、生憎周りを見渡しても自販機は見つからない。それ以前に、慌てて家を飛び出した時に引っ掴んだ財布は、小銭入れで。手にとって見れば分かるように、中身が殆ど無かった。
…どうして俺がこうなったのか。あの日、今日で数えて4日前の話になる。
目を覚ましたら、一番最初には、自宅の天井が見えた。どうやって帰ってきたかすらも曖昧だったが、酔って、記憶が無いままいつの間にか帰ってきた、というところが妥当だろうと落ち着いた矢先。一人暮らしで自分以外の人間がいるはずが無いのだが、左隣に布団を被って寝息を立てて寝ている人物を認識した時、血の気が引いた。慌てて前夜の事を思い出そうとしたのだが、静雄と飲んでいる最中までの記憶しかない。もしかして、酔ったままどこかの女の子でも引っ掛けて事に及んでしまったのかもしれないという推測に、更に自分の顔が青くなっていくのがわかった。…いや、女の子にしては何だか図体がでかい。そう思い、現実を直視するという決心の末に布団を捲る。そこには仕事上の後輩が、図体に似つかわしくない、可愛らしい表情をして眠っていた。「(…なんだ、結局静雄も飲み過ぎで帰れなくなって俺の家来たのか…。)」と、一人で納得した。推測が外れてよかった、と胸をなでおろす。それにしては、何だか晴れない気持ちと共に、一つ疑問が浮かぶ。
──、なんで、静雄、半裸なの…?
捲った掛け布団から見える静雄の身体。筋肉の彫りが綺麗な流線型を描いていた。男の自分でも惚れ惚れするくらい、羨ましい。しかし、気がつけば自分も半裸だった。冬も近いこの季節、流石に裸じゃ風邪でも引くだろうと苦笑する。大の男が二人、何やってんだと半分呆れる気持ちだった。酔っていて暑かったなら仕方もないか、という解釈と共にコーヒーを入れようと、ベッドから立ち上がった瞬間、下半身がやけにさわやかなのに気づいた。
──、あれ、なんで、俺、全裸なの…?
俺は先程の推測とはまた違った意味で血の気が引いた。恐る恐る、静雄に掛けてある布団を捲った。恐れていたことが、俺の目に映った。あろうことか、静雄も一糸纏わぬ姿で寝ていたのだ。シングルベッドに全裸の男二人…。と、いうことは…?
──、ああ、やってしまった!酔っているのをいい事にして…!
このまま静雄が目を覚まして、どうなるのかは知ったことではない。だけど、静雄に対して悪いことをしたのには違いがない。もし、もし同意の下だとしても、俺も男で静雄も男で。どういう顔をして顔を合わせればいいのかわからない…。そういえば、昨日の事は微かに覚えている。半ば酒に酔った俺が自暴自棄になって、あろうことか静雄に迫った気がする。また一つ、静雄に顔を合わせられない理由が増えた。
本当に卑怯なのは分かっているが、逃げる以外の選択肢が見つからず、散らばっていた下着と服を身につけると、財布と携帯のみを引っ掴んで慌てて出てきたのである。
部屋を出て直ぐに、社長には、体調が悪いので3日ほど休むと連絡したが、今日で欠勤も4日目になる。何より静雄と顔を合わせることが出来ないからである。このままではクビだろうなあと、一人うなだれてみる。この3日間は友人宅に世話になっていたが、とうとう見限られてしまった。地方出身なので、近所に知り合いが多いわけでもない。携帯も、いざという時の為の充電残量をセーブするために、電源は切ってある。家の鍵も持たずに出てきた。おそらく、静雄が俺の自宅に鍵をして、持っているのだろう。他人の家の鍵を開けっ放しにして出かけるほど常識はずれな男でも無いだろうから。だとしたら、余計に家に帰れない。家に帰ろうにも鍵は静雄が持っているわけだし、鍵を丸々変えてしまおうにも身分証が必要である。先ほども述べたように、俺は今、小銭入れしか持っていない。
…いや、お酒って怖いネ。
笑い話にもなりゃしない。どうすればいいのか。いや、もう結論は付いてるのだけれど、勇気が無い。静雄に会いに行って、鍵を返してもらえば済む話ではあるのだけれど…。そんなことが出来るのなら、こんな所にいないし、そもそもあの朝、静雄の前から逃げていない。
…本当、最低な人間だ、俺って。
冷静になればなるほど、その夜を思い出してしまう。荒く、熱を持った吐息と、必死に互いを求める腕。何度も何度も、そのアキを呼んだ。思い出せば思い出すほど、後悔する。確かに俺の想いを告げたいという願いは叶った。…俺の気持ちの一方通行なのかもしれないが。それでも、静雄とああ言う事をしたくなかったのかといえば嘘になる。静雄も俺を諦めさせる為に、情けとして我慢して事に及んだのかもしれない。そう、そうだ。俺は胸を張って静雄を好きだと言えるが、静雄は…?身体を重ねたからといって相手が好きだとは限らない。今回の場合は状況を考えると、円満にハッピーエンドを迎えた訳でも無さそうだ。ああ、余計に、静雄に会える理由が無くなってしまった。俺、これからどこに行けばいいんだろう…。
「…八方塞がり、かあ…」
ベンチの背もたれに完全に背を預ける。衣服越しでも伝わってくる無機質さに、静雄の温かみが恋しくなる。むしろ、いっそのこと開き直って静雄の前に現れて、「ホモ」だの「気持ち悪い」だの罵られておさらばしたほうが吹っ切れるのかもしれない。
「でも、やだなあ…。俺、好きだしなあ…」
好き。静雄が。静雄に嫌われるのが一番恐い。もう、嫌われてるのかもしれないけど、それでも面と向かって言われるまでは今一現実味が湧かないのも事実で。
その時、砂利を踏む音が俺の後方から聞こえた。
──若い兄ちゃんが一人、公園で項垂れているのをカモとするような野蛮な奴らだろうなあ…どうせ。人がこうも悩んでいることも知れないで、お気楽にさあ…。財布の中なんて雀の涙ほどしか入ってねーっつの!
段々と悩みのベクトルがイライラへと変化していく。矛先が公園の侵入者へと向けられた。気にしない振りをして、仕掛けられたらカウンターでもかましてやろうかと、相手の出方を伺う。一歩、また一歩と近づいてくる人物に、相手の死角で握り拳を作った。相手が俺の身体に触れてくる瞬間、ベンチの背を両手で掴み、それを支えとして相手に両足で蹴りを食らわす。相手も喧嘩慣れしているのだろうか、両腕で蹴りを受け止める。一発で仕留められる事を前提に繰り出した両足は、地面に着地するまでにいくらか時間が掛かる。やばい、隙が出来た、と脳が警告を出した。が、そのまま何事も無く俺の両足は地面に着いた。拍子が抜けた。改めてマジマジと相手を見つめようとした瞬間、相手に抱きつかれる。
「…やっと、見つけた」
このタバコのニオイを俺は知っていた。腕の温もりを、俺は知っていた。紛れもなく俺を今、抱きしめているのは静雄だった。珍しく息を荒くしている。おそらく、走ってきたのだろう。もしかして、俺を見つけるために…?だとしたら、どうしよう。物凄く嬉しい。
「え、え…嘘、しず、お…?」
「何、やってるんすか…、無断欠勤なんて先輩らしくないっす」
「え、うん、ごめん…?」
「家にも帰って来ねっすし、心配、しました」
謝るところはそこではないだろう、と叱咤する。迷惑かけてごめん、心配掛けてごめん、仕事に出なくてごめん、それに何より──。
「ごめん。静雄。あん時さ、俺どうにかしてたわ。静雄さえ良ければ忘れてくれねえかな?
…むしろ、俺に腹立ってたり、気持ち悪いと思ったりしたら殴ってくれてもいいしさ」
凄く自分が情けない。色々と。何年ぶりかに泣きそうだった。もしかしたら、静雄が、俺の前からいなくなってしまうかもしれないことに対して悲しさがつのる。考えが纏まらなくて、焦りだけが俺の頭を支配する。どうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう。その言葉だけが頭の中をぐるぐるぐるぐると巡る。このまま何も考えずに成行きに任せてしまうという、また身勝手な考えが思考を止めているのかもしれない。
「ふざけるのも大概にしてくれませんか」
「え…」
「散々俺に好きだとか言っておいて、行き成り居なくなるとか、人がどれだけ探したと思ってるんすか。そりゃ酒の勢いに乗った俺も悪くはねえと思っては無いっす。だけどよ、挙句の果てには、”俺を殴れ”だ?”忘れろ”だ?人の気持ちも知る前に勝手に勘違いしやがって」
本気で静雄が起こっているのが分かる。最後の最後には敬語の”け”の字も無いくらいに、口調も強くなる。物凄く、恐い。ドスの利いた声が俺の鼓膜を震わせる。見を固くした俺に気づいたのか、”すんません”の一言とともに静雄は、纏う怒りのオーラを鎮めた。代わりに、俺を抱きしめる腕を強める。そして、俺の耳元でため息を付いた。何かを決心したかのような、憂鬱とは違う、ため息。
「…俺も、好きなんすよ、先輩が。
あの朝、目覚めたら先輩居なくなってるしよ…本当、勘弁して欲しいす」
嘘みたいだった。静雄が、俺を、好きだと言った。消え入りそうな声で、俺の肩に顔を埋めて静雄は言った。静雄が俺を受け入れてくれたことに、まだ現実味が湧かずにいた。震える手で、静雄の背中に手を回した。恐れていたように、手を振り払われることは無かった。極度の安堵と、嬉しさで頭がどうにかなりそうだった。自制を効かせようと、意識をはっきり持とうと、意気込んだ瞬間、涙が溢れた。静雄のゴツゴツとした指が、俺の目から溢れる水を、流れ落ちる前に掬う。
「ごめん、静雄、ごめんな…」
違う。俺が言いたいのはこんな事じゃない。
”好き”とやっと面と向かって言う事ができる場面だというのに、上手く言葉が紡げない。嗚咽が喉に引っかかる。俺が落ち着くまで、静雄は抱きしめてくれるというのだろうか。卑怯な俺は、ずっとこのまま、泣いていようかと考えがぶれ始める。…というのは言い訳で、何度も頭でシミュレートしてきたというのに、いざとなったら大切な二文字を言うことが出来ない。
…でもね、言うよ、俺、ちゃんと。
「静雄、あのな、」
俺の言葉が風にかき消されたとしたら、何度でも言うよ。もう、逃げないし、逃げられないし、逃げたくない。怖くもないから。あとは、静雄に聞いてもらうだけだから。