Silvia

story


煙にさえも劣る

そういえば、とアキは指を何折りかしたところで気づく。折原との付き合いも今年で何年目を迎えるのだろう、と。具体的な数字を出すより、漠然とした付き合いの長さを浮かべると、軽くため息が出そうだった。アキのモットーは付き合いは浅く、狭くだったはずなのに事あるごとに折原が干渉してくる為に、顔を合わさざるをえない。別に折原の事は嫌いではないし、むしろ、異常なまでの頭の回転の早さと、目的を達成するために周囲の人々を駒として見るような潔さにはほどほど感心させられる。けれど、時折自分に向けられる無関心さと口の悪さにはさすがのアキにも心に刺さる物がある。

「(大体、何で普通のOLが情報やさんと繋がってるかね…。)」

 なんて不健全な響きだろう、と会社のデスクの前でアキは一つ伸びをする。最初は人の良さそうな笑みを浮かべた、ちょっとイカれた頭の持ち主くらいにしか思わず、ほいほいと声を掛けた高校時代の自分が恨めしい。

*

「あれ、新藤さんって煙草吸ってましたっけ」

 喫煙所から煙草を片手にオフィスに戻ると、同僚の男から声をかけられる。黒髪にスーツを着こなす、一般的に言う所謂”イケメン”であるが、アキの心を動かしたことは一度もない。彼には意図的にアキを気にする行動が多々見られるが、アキはさも気づいていないかのように振る舞う。前述の”悪いお友達”のせいで口の悪さも移ってしまったのか、同僚の男に酒の席でしつこく迫られた際に、『あのさ、鬱陶しいんだよね。少し容姿がいいくらいで自分に自信が持てるとか尊敬しちゃうなあ』と言いかけてしまったのである。折原だって顔だけはいいし、静雄も顔だけはいい。新羅だって顔だけはいいし、と顔だけはいいが一癖も二癖もある友人なら昔から多いので、その男くらいの容姿は別に物珍しいものではないと。
幸いなことに、男は酔いが回りすぎていたのか、男の精神が予想以上にタフなせいなのか、今のところ業務に差し支えるような私怨をアキは感じてはいなかった。

「ちょっと不良になってみたっくって」
「不良になるなんて、ちょっと遅すぎやしません?学生なら兎も角」
「まあ、あまり気にしないでおいてくださいよ」
「あ、もしかして誰かの影響ですか?…彼氏、とか」
「さあ?」

 短く、且つ曖昧に返すと、男は不満そうな顔をする。アキはデスクに向かい、男の死角で鼻で笑うと、PCアドレスに届いたメールを一つづつチェックする。リストの上から二番目に届いていたメールを開く。自分より一回り半程年上の上司からのメールだった。
『21時 新宿東口 アルタ前』
 一行にも満たないメールで全てを理解する。頭に刻むには簡単過ぎる要件を確認すると、そのままゴミ箱へとメールを移動させた。


*


「…あのさあ、帰れなくなる時間まで飲むなら、その上司とホテルにでも行けばいいでしょ。池袋までならタクシーでも帰れない距離じゃないし」
「なんか急にシステムの不具合が出たとかで会社戻った。というか、タクシー乗って帰るくらいだったら、折原ん家泊まって、そのお金で美味しい物食べる。」
「あ、そう」

 まあ、今に始まったことじゃないし気にしないけど。と折原はモニターに再び目を落とした。今も昔も自分に害をもたらすような人物ではないし、自分が干渉しようと無関心でいようと良くも悪くも変わらないのが新藤アキだった。彼女の生年月日、家族構成は勿論、身長体重や彼女自身でも知らない情報を握っているというのに彼女のクールさは出会った時から変わらなかった。特に何を知られようが、弱味となるようなものは一つも溢れず、完璧を具体化したような人間だというのに、何故中小企業の平社員なぞやっているのかが不思議なほどであった。
 そんな彼女も時折、冒険くらいはする。新宿で終電を無くした理由も、その冒険の延長である。直属の上司との色恋、ましてやその上司が妻子持ちだとするとよりリスクがある。彼女自身滅多に外発的に綱渡りをさせられる事がないので、自発的に綱でも渡ってみようかなと思った矢先の事らしい。折原にとってはバカバカしいの一言であるが、本質的にはあまり自分と違いは無いのかと思うと余りアキを馬鹿にも出来なかった。

「知ってると思うけど、キミの上司妻子持ちだからね」
「うん、知ってる。だから狙ったんだし」
「本当性格悪いよね。誰に感化されたんだか」
「私の目の前にいるけどね」
「訴えられたら勝てないよ。バレたら奥さん方から慰謝料請求されて会社にも不倫がバレて解雇、路頭に迷ったアキちゃんは俺に泣きつく、と」
「その前に折原が何とかしてくれるでしょ?」
「そんな俺をドラえもんかなんかに思われても困るんだけど」

 えー、そしたら私のび太かー、やだなー。と見当違いのアキの発言で会話は途絶えた。徐に横たわっていたソファから立ち上がる。少しめくり上がったスカートの裾を気にもせずにベランダへ足を運ぶ。窓を開けた途端に秋独特の少し冷たい風が、少し酒の抜けた身体を襲う。同い年なのにこの境遇の違いは何なのだろうかと、新宿にそびえ立つ高層マンションのベランダから街を見下ろす。タバコを咥え、風に揺れるライターの火を手で風よけを作り、それに灯す。煙が肺に流れこんで来るのを冴えない頭で感じる。

「何、煙草吸ってたっけ」
「いや?3日前くらいから」
「キミの上司の影響?女って直ぐ男に影響されるよね。単純」
「いや、彼、煙草吸わないし」

 少し意外そうな顔をする折原を見て、アキはほくそ笑んだ。アキは何にも影響されない。そういう意味でも弱味など折原でさえも見つけられなかったし、心から大切に思う人すらもいないであろうアキにとっては悪く言うと、何もなかった。昔、アキは言った。「親には恨みはないけど、いざとなったら親でさえも切り捨てられるよ」と。折原はアキが自分自身で自覚している通りの空虚の念を気に入っていた。結局は自分と似たもの同士は集まる羽目になるのかも知れないと思うと、折原は笑いを禁じ得なかった。
 アキが煙草に心を動かされた理由は何なのだろうと折原は気になる。彼女のことだから、手持ち無沙汰の解消程度にしか思わないのだろうけど、もし、外発的な何かの影響だとしたら何故か心が穏やかではない。

「さっきの話、キミが訴えられたら俺がその尻拭いしてもいいけど、”只のOL”であるキミはどうやって対価を支払うわけ?」
「うーん、そうだなあ…折原の奥さんとかになってやってもいいよ」
「その上から目線何?というか、キミが奥さんとか死んでも嫌なんだけど。身体で払うよ、くらいの冗談のほうが可愛く思えるね」

 ──きっと身体云々も特に拘りのないアキのことだ、いいよ、なんて言って股を開くのも抵抗はしないのだろう。アキはプラトニック、と言うほどの綺麗事で飾れるような経験をしていないわけでもないし。別に、俺は、アキを抱きたいわけなんかじゃない。かといって、アキの心を動かせるかと言ったら、煙草に負ける。だけど、コレ以上のアプローチをするのも億劫だし、柄じゃない。

 思春期を遠の昔においてきたはずなのに(寧ろ体験などしたことが無いのかもしれない)、心臓の下辺りがジリジリと灼けつくようだった。

「何ぼうっとしてんの。折原らしくない」

 べつに、と言いかけた所でヤニ臭い煙が顔面に吹きかけられる。反射的に咽ると、アキはカラカラと笑った。

「知ってる?男が男に煙草の煙を吹きかけるのって、”今夜お前を抱く”って意味らしいよ」
「…なに、私女だけど、折原私に抱かれたいの?」
「逆だって言ったら?」
「笑えないねえ」

 ふふん、とアキは鼻で笑った。いつだったか、折原は門田に「お前とアキの笑い方似てるよな」といわれたことを思い出す。自分はこうも少し憎たらしげに笑うのかと思うと、少し考えものなのかもしれない。