Silvia

story


降りしきるセレナーデ

ひたすら生ぬるいシャワーを身体全体で受け止める。目を閉じて上から外さずに私を狙う水の粒を感じていた。
 粒はやがて私の身体を伝って筋となっていく。最後には足元に溜まって、排水口へと自ら出向くのだ。私の人生も多分、そんなものなのだろう。静雄と出会ってこうして一緖にいる今、私は皮膚と一体化する水の筋だ。きっともう少しで排水口へと向かっていくのだろう。それで私の人生は終わり。排水口へと流れた後の水を誰が想うのだろうか。私が死んでも何にも想われない。それと同じ。それでも一時でも、彼に必要とされているのならそれでいいの。いつかは、忘れ去られたり、鬱陶しいと思われても。

 アキがシャワールームに篭ってから一時間は経っているだろう。未だ飽きず頭からシャワーを浴びていた。水が床に跳ねる音以外何もしなかった。横に垂らした二本の腕もその先にある五本ずつの指先もピクリとも動かなかった。ただ、ひっそりと申し訳程度に息をしている。艶やかな黒髪は肌に張り付き、水と一緒に流れていきそうになる。



一時間と二四分二七秒。それが彼女がシャワー室にて無言のまま立っていた正確な時間であった。ただ、彼女にはその自覚が無かった。どんな人間でも一度深く物事を考え始めると時間の感覚が無くなるのと同じで、彼女もまたそれと変わらぬ純粋な人間であった。

 ふと、枠の外にあった意識を戻してみると、誰かが自分のアキを呼んでいるのに気づいた。低くて、流れてくる水によってくぐもった声。

 ──静雄、

「オイ、テメェまたやってんのか」

『また』と言われてアキはそこではたり、と気づく。

──また、やってしまった

先程一連の行為には意識的なものは全くと言っていいほどに無かった。ただ、考えていただけ。尽きない問に対する何時まで経っても見つからない答えを探っていたらいつのまにかこんなにも時間が過ぎていた。

──今週で三回目……。

 シャワー室に掛かっている防水性の掛け時計を見、アキは静雄に怒られる理由を悟った。

「ごめん、静雄も仕事で疲れているのにね。今すぐ出るから待って」

水を止めようと蛇口に手を伸ばした瞬間、ガラッとドアが開けられる音がした。シャワー室の前に立っていたのは静雄だから、開けたのには静雄に違いない。と冷静に分析したのはいいが、どうしたらいいのかがわからない。無表情で仁王立ちする静雄にアキは何とも言えぬ威圧感を覚えた。

「なに?一緖に入りたい?」

相変わらず上から降り注ぐシャワーが少し笑いながらジョークを口走るアキの視界を悪くさせる。少し後ずさると、完全に視界は水によって遮られた。もう、静雄のシルエットしかアキには見えていなかった。

 キュ、と床が鳴った。静雄は濡れた靴下を脱ぎ、そのまま脱衣所の方へ放り投げるとアキへ一歩ずつゆっくりと歩み寄った。そのまま肩へと手を伸ばしたかと思うと、アキを掻き抱く。アキの素肌と静雄のワイシャツが重なる。その間を抜けようと水が入り込んでくる。まるで水が接着剤にでも変わったかのように二人を密着させた。洋服が濡れるのも構わずに静雄はアキの肩の感触を確かめた。
 静雄は、シャワーの音に負けるか負けないくらいかの声で言う。

「また何かあったんだろ」

静雄の背に腕を回しつつアキは答える。

「大丈夫だよ、ただ少し考え事していただけ」

静雄は納得がいかなかった。彼女が『考え事していただけ』と言うときは決まって何かを抱え込んでいるからである。
何も言わずただ従順に自分の後ろをついてくる彼女に悪魔のように不安を囁く存在がいるのだろうか。それとも自分自身がアキを不安にさせる対象なのか。静雄にはどちらかと判断せずにいた。

「なんでいつもお前はそうなんだよ 一人で全部抱え込みやがって」

アキは静雄の言葉ひとつひとつに頷いた。『うん』としか言わないアキに更に静雄の不安は高まる。

「たまには反抗くらいしてみたらどうだよ」
「反抗なんてしないよ、静雄のことが好きだから何をされても私は全部受け入れる。受け入れる自信があるんだよ静雄。私の中に渦巻く不安も、静雄の事だったら……そうじゃなくっても静雄のお陰で生きていれるから、悩めるって思うと全部平気なの。」

その回答にまた一つ、静雄は苛立を覚えた。

「違ぇよ馬鹿、俺だって嫌でお前と一緖にいるんじゃねえよ、だから、その」

静雄は口篭った。静雄はこの手の台詞を言えいタチである。寧ろ言ったことが無いというのが事実ではあるが。故に彼は方法を知らない。彼女にどんな言葉を贈れば彼女は不安に胸を詰まらせることが無くなるのか。しかし、静雄はそこまで深く考えるような人物でも無かった。

「俺にだってその不安少しでもいいから背負わせるくらいの勤め果たさせろや」



また、静雄は裸のままのアキをきつく抱いた。肩から、なめらかな曲線を描く腕へと手をずらす。ひたすら自分のアキを涙声で呼ぶ彼女は自分が思っていたより甚だしく小さいと思った。

 アキには降りしきる水の雨の温度が少し上がったように感じた。