Silvia

story


ミルクティー条約

何か夢を見たような気がする。千切れたフィルムをつなぎ合わせるように記憶の断片を辿っていく。随分と昔の思い出が夢になって再現された事を思い出した。昔、静雄と自転車に二人乗りをした、若き日の思い出。懐かしさと同時に切なさを覚えたのは多分、未だ叶っていない恋心の所為か。私が眠っていたベッドの隣には布団にくるまって寝ている静雄の姿があるというのに、手を伸ばせば幾らだって触れる事ができるのに、遠い。

今の夢で思い出したことなのだけれど、あの時私は確実に思いを伝える時期が来た事が分かっていた。のに、何を間違ったか足踏みしてしまい、5年以上経った今でもこの様である。
一ヶ月前に私の住んでいたマンションの私の部屋で臨也と静雄が鉢合わせしてしまい、マンションの住民に多大な迷惑を掛けてしまったのがきっかけでマンションを追い出されてしまった。引越しのシーズンでも無いために空いている好物件などあるはずもなく、詫びるつもりで静雄は私を自身のマンションに住まわせている。初めは何か進展があるかと期待したものの、一ヶ月間何もない。本当に何も無いのだ。毎日同じ部屋で寝起きしているのにやましい事一つ無いのは、きっと、一緖に居る内に性別というものを気にしなくなってきてるからかもしれない。兄妹の関係と似ている。静雄は私の事は好きだけれど、そういう類の好きではなくて、私の求めている好きでは無いんだろう。

そんなことを十分に承知しているのに、諦めきれず、何年も飽きずにこんなにも想い続けている私を褒めてくれる人なんて誰一人いない。
ため息が喉を介して口から出そうになったときに、静雄がむくりと上半身を起こした。

「…おはよう」
「…おう」

寝癖がどうだとか気にするまでもないような関係で居ることはいいことなのか、悪いことなのか。初心を忘れてしまった夫婦みたいな関係だなと思うと、少しだけ笑えた。
ベッドから降りてコーヒーを淹れにキッチンへと向かった。私の為じゃない。静雄のためだった。私は専ら朝はいつもミルクティー派だ。それなりの糖分を朝ごはんの代わりに摂取するのが常であり、ミルクティーが丁度いいというただそれだけの理由であった。静雄が顔を洗っている間に私はまた思考に更ける。あの時の事を少しでもいいから思い出したくて、必死だった。…何か忘れている気がする。とても大切なことを忘れている。

「ん」

淹れたてのコーヒーが入っているカップを、顔を洗い終えた静雄に渡す。居候の私が出来る仕事の一つだ。感謝している分、抜かりなくやらせてもらうのが私のスタンスである。静雄の好みの味から淹れ方までマスターしている。これほど静雄に近い人物は私しかいないはず。誰に対してか分からない優越感がそこにはあった。
冷蔵庫の中からパックのミルクティーを出すと自分専用のカップに注ぐ。鮮やかなミルクブラウンがカップの縁ぎりぎりまで満たした。
二人並んでキッチンの床に座り込み、朝の一時を過ごす。心地の良い静雄の隣が私の指定席から外れてしまう日は来てしまうのだろうか。

「あのさ、静雄。今日の夢で思い出したんだけどね」
「あ?夢?」
「うん、高校時代にさ、自転車二人乗りして帰ったことあったじゃん。途中にコンビニ寄って、ミルクティー買って…っていう。覚えてる?」
「高校時代?…ああ、んなこともあったような気がするけどよ」

ずず、と一口静雄はコーヒーを啜った。本当に覚えているかは怪しいものだったけれど構わず私は続けた。

「その時の事で何か忘れていることがあるんだよね、なんなんだろ」
「知るかよ。俺はお前じゃねえからな、知らん」

そりゃそうだよね、と納得しかける。
ミルクティー、自転車、帰り道、そして静雄。ここまでキーワードは揃っているのに、答えがでない。もどかしい。分からず仕舞いにしてしまったらいけないことがあったような気がするのに。
ふと、静雄を見ると、静雄はそっぽを向いていた。私に後頭部を見せるような形で。視線の先は壁にかかっているカレンダーだった。どうやら予定を確認しているらしい。そういえば、あの時の私も自転車を漕ぐ静雄がこっちを振り向かないかとずっと後頭部ばかり見て──。

あ、と口から漏れそうになったのをミルクティーで押し流した。
そうだ。そうだ、あの時静雄は何かを言いかけたんだ。私に背を向けて耳を赤くしながら…。
引っかかっていたものが外れた快感が、興奮が冷め切らないうちに私は静雄に言った。

「そうだ、静雄さ、あの時何か言いかけたよね?」
「俺が?……覚えてねえな」

嘘だ、と直感的に思った。さっきの言葉の間といい、私と目線を合わせないことといい、高校時代の思い出の話をしてからなんだか態度がおかしいように思えた。こんな明らか様な態度をしているのに覚えていないハズが無い。

「嘘だね。ぜっったいに覚えてるでしょ。何か静雄怪しいもん」
「役に立たねえ根拠だな、そりゃ。ああ、嘘だ。ばっちり覚えてる」
「何、言おうとしたの?あの時に…」

さあな、とまたカレンダーに目線を戻してしまった静雄。ここまで来たら聞かないわけにはいかないと半ばヤケになっていた。この ミルクティーを零して手を濡らしてまでも 静雄に詰め寄ってやる。
教えなさいよ、とつま先で静雄の足をつついた。避ける静雄の足を追ってどこまでも追って行く。しびれを切らした静雄がため息をついた。

「じゃあヒントやるよ。嫌いな奴を自分の部屋に泊まらせてやる心の広さは、少なくとも俺は持ってねえ」

…つまり?つまり、なんだソレ。答えの範囲が広すぎて分からない。私が長年連れ添った友人で、一緖にいても悪い気はしないし、マンションの一室を半壊させたのは自分であるから別に人一人くらい部屋に住まわせても大したことはないっていうこと、じゃなくて?
というかそれとあの時言おうとしたことと何が繋がるのか予想出来たものじゃない。

「…先生、分かりません」
「誰が先生だ誰が」

立ち上がり、飲み終わったコーヒーカップをシンクに置いた静雄。そのまま答え無しで終わってしまうのかと焦り始めた途端、静雄はおもむろに身を屈めた。腰を折り、私の頭を撫でたかと思うと、その手を後頭部へと回してきた。

「タイムオーバーだ。これが答えな」

甘いミルクティーの味で満たされていた口内に苦さも混じった。コーヒー独特の風味が何かを介して流れ込んできていた。何が起きたかを把握した頃には静雄は私から手を離し、キッチンを後にしようとしていた。

「好きでもねえ女とこんな事しねえよ、」

「何それ、つまり、私のことが好きだって、っていうことで、あの時もそれを…?」
「正解。何年も経っちまったけどな、何時かは言おうと思ってたんだけどよ。悪かった」

ばりばりと頭を掻く静雄の後ろ姿がぼやけて見えない。取り敢えず落ち着こうとミルクティーに口つけると、味が変だった。しょっぱい。知らない内にミルクティーに塩を入れてしまったような、生理的な雫の味がした。以前にもこれと同じ味を経験していたような気がする。その時にも静雄の後ろ姿を見ていた、私は。

情けなく嗚咽を漏らしていると静雄はつま先を私に向けた。一歩踏み出す度にしなるフローリングの音を聞きながら私は静雄を待っていた。カップを胸の前で抱え込んでいる私をさらに包む静雄。背中に回ってくる腕が私のTシャツを掴んでいた。あの時の私と反対だ。今度は静雄が私を逃すまいと硬く、拳を握っている。

静雄の心臓が一つ鼓動をする度に私の瞳からは涙が零れ落ちていった。