Silvia

story


ミルクティー戦争

一人、人通りの無い廊下の一角にある水道で顔を洗う。ただ頭を冷やしたいと思った末の行動がこれだった。頭が冷やせれば何でも良かった。ただ思いついたのがこれだったという話だけだ。

思い起こしてみればあそこまで取り乱す必要は無かったはずなのに気づけば私は教室を走り去っていた。弁当も中身が残ったままだし、去り際に箸も床に落ちた音がしたような気がする。そしてあの皆の唖然とした顔。笑ってやりたくらい腹立たしかった。
事の発端はいつもお昼を一緒に食べている友人の一言からだった。「アキってさあ、平和島君のこと好きなんでしょー?」となんとも悪気のない顔で聞いてきた彼女。いつも通りただの友達だよと否定してみても彼女は引き下がることなく質問を続けた。周りの友人達も一緒になって「いつもいっしょに居るんだからそうなんでしょ」とか勝手に決め付けやがって、中学生のガキじゃないんだから、と一人煮え滾る腹の中を吐いてやるかのように口の中をゆすいだ。それでも、完全に否定しきれなかった私自身に腹が立つ。ああ、だから嫌だったんだ、気づくの。恋沙汰なんて面倒なだけなのに無理やり気づかせられてしまった。

教室に帰る途中にトイレへと向かうであろう静雄と会った。なんとなく気まずくなって目線をそらして見ればいつものように声を掛けてくることは無かった。それはそれで寂しいけれど心臓が高なるのが途轍もなく鬱陶しい。頭では否定しているのに身体は素直なんだねなんてどっかの昼ドラみたいな台詞が頭を過ぎった。おっさんみたいだな、と自嘲気味に笑うとなんだか寂しくなった。

*

「ちょっと…嘘でしょ…」

怠屈な授業も終われば清々したもので、さあ帰るかとなんとなく定期を出そうとしたら、無い。どこにもないのだ。バッグのなかもポケットにも、どこにも。落し物スペースにあるかなと職員室の前のロッカーを見てみても其れらしきものはなく、担任に聞いてみても知らないの一言だった。担任の冷たさに嘆きながら下駄箱へと向かうと、ちょうど靴を履いている静雄と鉢合わせした。

「先に帰ってんのかと思った」
「いや…ちょっとね、」

明らか彼を今日一日避けていることは本人にバレているのだろう。どことなくぎこちない空気が6月の生ぬるい空気と混じって、溶けた。さっさと帰ってくれればいいのに一緖に帰るつもりなのか腕組みをしながら私が靴を履き終えるのを待っていた。

「定期無くしてさあ、帰れそうにないから先帰ってていいよ。帰れる方法探すから多分遅くなる。」
「はあ?どうするつもりだよ、ってか切符買えばいい話じゃねえか」
「財布の中身が30円で無かったら苦労しないんだけどね」

静雄が尻ポケットに入れた財布を開けていた。もしかしたらお金をかしてくれるのだろうかと少しだけ希望をしていたものの、小銭を漁る静雄の手が止まったので少し不安を覚えた。
恐る恐るといったように静雄は私に問いかける。

「お前、最寄り駅まで運賃幾らだ?」
「230円」
「悪ぃ、105円しかねえわ」

二人あわせて130円。とても帰れたものじゃない。この時ばかりはなんで家から遠い高校を選んでしまったのかと後悔する。というかなんでここまで私たちは金が無いんだろう。バイトなんてしてないし月末だからか。私の場合だけれど。しょうがないからもう一回職員室までもどって、あの非情な担任に頭を下げてお金を借りようか。もうとっくに他の友達は下校してしまってるから借りられそうにないし。

「しょうがねえな、乗ってくか?後ろ」
「後ろ…って 静雄のチャリの後ろ?家まで遠いよ?」
「130円で帰れる駅まで送ってく」
「ケチ。」
「うるせえ。ゴチャゴチャ言ってんじゃねえ。チャリに乗せて金まで貸してやろうとしてんだから文句言うな、ボケ」

*
荷台は思ったよりも座り心地はよかった。何も入っていない鞄を敷いたらいい感じの特等席に早変わりだ。鞄は静雄のだけど。

「進むぜ」
「うん」

といったものの何処に掴まっていいのか分からず私の両腕は宙をさ迷ったままだった。それに気づいた静雄が私の両腕を掴み、自分の腰にそれらを回させた。掴まってろ、という台詞と同時に私と静雄の身体が密着した。半ば私が静雄を後ろから抱きしめているような構図になる。思ったより静雄は大きかった。これが男女の差、かと改めて見せつけられた気がする。ほんの数年前までは私の方が身長だって大きかったのに、中学入学と同時くらいにあっという間に抜かされて。高校になってもどんどん私の知らぬ間に男らしくなって。

「(う、わ)」

静雄が漕ぎ始めた銀色の自転車は曇り空の下、コンクリートの海原へと出航した。静雄が速度を上げる。風が髪の毛をなびかせる。
生ぬるいとはいえ、私の頬より格段に冷たい風が私を煽っているというのに頬が一向に冷めない。心臓も他の器官を振動させるほど高鳴っている。どうせ、静雄だってこの鼓動が聞こえてるんだ。こんなにもドキドキしている私を笑えばいい、どうせなら「馬鹿じゃねえの」と罵ってほしい。そうして私に弁解させて。これは恋心から来たものじゃないんだから、って。…それでも静雄は何も言わずにただ、ペダルを漕ぐ足を早めた。

しばらく進むと、前方にあったコンビニの駐車場へと吸い込まれるかのように自転車をは進んで行った。頭に?マークを浮かべていると、静雄は「休憩な」と言って店内へと入っていった。「いらっしゃいませ」と型にハマった挨拶をしてくる店員、ちらほらと私たちのような学生が通路を塞いでいるだけで、割と閑散としていた。
静雄はパックジュースコーナーに向かおうとしているらしい。

「何、飲み物買うの?私ミルクティーがいい」
「うるせえ」

まさに一刀両断、目もくれず一つパックジュースを手にとったかと思うと、レジへと向かった静雄。ちえ、と不貞腐れていると、「行くぞ」と声をかけられたので手にしていたお菓子を棚に戻し、静雄の方へ駆けていった。途中、すれ違った女子高生から聞こえた「あの金髪の人、かっこよくない?」という黄色い声。なんだか無性ににもやもやする。霧が晴れない。早くしろと急かす静雄に反抗するように私は駆ける足を遅めた。


「持ってろ」

店から外に出ると、一服を終えた静雄が私にパックジュースを渡した。俺が運転するんだからお前は冷蔵庫代わりにでもなってろってですか、このやろー。と胸中で毒づいてやった…が、よくよくジュースのパッケージを見るとミルクティー、の文字が入っていた。…静雄がミルクティー飲むところなんて見たこと無いんだけどなあ。

もしかして、と気づいたときには、静雄のぶっきらぼうな優しさに心臓がきゅうと縮んだ。せり上がってくる愛しさを誤魔化すように私は笑った。涙が出てきた。変に手が汗ばんでくる。

「何笑ってんだよ」

不機嫌そうに呟く静雄の顔がまともに見れなかった。ごめん、さっきは否定してごめん、静雄。やっぱり私、静雄のこと好きだわ。少女漫画みたいに綺麗な恋は出来ないし、そうやって純粋に静雄に好きだって気持ちは持てない。──友達という関係が壁をつくっているから。それでもやっぱり、私は…

「行くぞ」

返事をせずに荷台に座った。静雄も何も言わず自転車を再度漕ぎ始めた。
私はもう、要領はつかめたから一々がっしりと静雄にしがみつかなくていい。心臓の鼓動も聞かれなくていい。ただ、私は片手にミルクティーを持って、自転車のペダルを踏む静雄を応援して、時々汗ばんだ静雄のワイシャツを握り直すのだ。今はそれだけでいい。いつか、時期がきたらでいい。

「そのよ、アキ」
「何」
「いや、やっぱり 何でもない」

なんじゃそりゃ、とツッコミを入れたくなったけれど駄目だ。絶対今しゃべったら泣きそうになっていることがバレる。赤くなった静雄の耳に期待してしまう。目に貯まった水は風が乾かしてくれているけれど、口の中がカラカラだった。飲み掛けのミルクティーを一口拝借する。可笑しい。いつものミルクティーのはずなのに、何処と無く味が変だ。しょっぱい。

「まっず」

時々大きく揺れるもんだから、パックの口からミルクティーが飛んだ。手に掛かってベトベトになっているのに私はそんな事を気にできないくらい動揺していた。
今更気づいたことなのだけれど、静雄の100円をあそこで使ってしまったら本格的に私を家まで連れて行かなきゃならないじゃないか。馬鹿だなあと思う反面、わざとだとしたら…?と妙に期待している私を殴ってやりたい。頬が緩みっきているのか、泣きそうにしているのか、どちらにせよだらしない私の顔を殴って、しゃきっとさせてやって。それから静雄に言ってやるんだ。
大好きだって言って、それでもいつものように余裕の表情を見せて、静雄の顔が赤くなるのを見て笑ってやりたい。