Silvia

story


ライン

彼は”曖昧”を作るのが上手い。彼が曖昧をつくるから、大抵の人間はどちらかをはっきりさせようとする。でも、それは臨也の策略なのであって、最終的には彼の手中に嵌ってしまうのだ。身を持って体験させられた私が言うのだから間違いはない。その結果が私と臨也の今の関係でもあるし。
ある天気の良い日の朝を迎えた今、起きてみれば昨晩は私が眠るまで隣でニヤニヤしていた彼の姿はもうなかった。低血圧気味な私より先にコーヒーを嗜んでいるんだろう。
取り敢えず散乱している洋服を部屋の隅に足でおいやるとその中から適当に下着を拾い上げ装着し、その上にシャツを羽織った。多分大きさからして臨也の所有物であるがもはや関係がない。
臨也を探しに部屋を出ると洗濯物を抱えた波江さんが立っていた。どうやら私の部屋の洗濯物を取りにきたらしい。相変わらず無愛想な顔をしながら

「あら、昨晩はお楽しみだったのかしら?」

と厭味ったらしく言った。別にそれが彼女の性格だと思っているし、彼女のような特定の人を一途に思う気持ちを持った人は嫌いじゃない。それに、彼女もまた私の存在を受け入れてくれているようだった。

「まあね。 何、波江さん、秘書なのに洗濯もするの?」
「本来の役目を果たすはずの貴方がこんな時間まで寝てるから私が任されただけ。ほんと、しっかりして欲しいものね」
「ごめんね。昨日は”お楽しみ”だったからさ」

おどけて笑ってみせると波江さんの眉間のシワは更に増えた。そういえば、いつだったかこういうやりとりを見ていた臨也が『まるで姉妹みたいだなあ、良かったじゃない名前、美人のお姉さんができて』と言っていたっけ。波江さんは心底迷惑だったみたいだけど。あ、思い出したらちょっと傷ついた。

「まあどうでもいいわ。臨也が待ってるから早くシャワーでも浴びて着替えてらっしゃい」

いや、本当のお姉さんみたいだ。抜けている妹に呆れ顔を見せる、しっかり者の姉。私に兄弟なんていたためしがなかったから、本当のところどうだかはわからないけど。

自分の過去に今の自分を少し委ねながら、シャワールームへのろのろと裸足を引きずりつつ歩いていった。

*

少し冷た目のお湯を浴びても覚めない頭を拭きながら、臨也のところへ向かおうとする。が、シャワールームのドアを開いた瞬間にはもう目的の人物が立っていた。
昨日と何ら代わりの無い含みのある笑顔で壁に寄りかかっていた。漠然と私から話しかける事が出来なかった。臨也が私に話しかけようとするまでの数十秒、頬に髪の毛から滴る水を感じていた。

「おはよう、名前。よく眠れたかい?」
「お陰さまで。ま、よく眠ったおかげで波江さんに怒られたけど。それを除けば目覚めはいいほうなんじゃないかな」

すす、と髪先を掬う臨也の指が鎖骨に触れて、ぞくり、と肌が鳴った。指先を見つめているとだんだんと手が上昇していき、首元を触ると最終的には顎へと指先は到達した。
キスされる、そう思った私とは裏腹に臨也は顎をクイと持ち上げたまま静止した。何がしたいのだろうと考えを巡らせていると、そっと臨也はじっと私の瞳を見つめた後に、唇にでなく瞼に自身の唇を当てた。

「昨日はおやすみのキスを忘れたからね お早うのキス」
「…馬鹿じゃないの」

朝食をとろうとキッチンへ向かおうと彼に背を向けた私に臨也は

「照れたー!」

と茶化した。そんな臨也を無視して歩き続けると背後から顔を覗き込んでくる。ああ、本当に面倒くさい男だと常々思う。それに構っている私も私であるけれど、それ以前にこの男に無意識に夢中になりかけていく。以前の私なら信じられなかった。

以前は彼は曖昧な人だから私がひとつの区分をつけたかったのかもしれない。去る者追わず、来る者拒まずを形にしたような人だから、私が追いかけてないと彼はひとつの区分に収まってくれない。それは言葉にすれば”恋人”という区分の一つに入るのかもしれないが、もう今の私にとってはどうでもよかった。臨也がいれば、それでいい。

「本当はこっちが良かったんでしょ?」

私の目の前に回り込んで少し身をかがめちゅ、と唇を今度は私の唇に触れさせると臨也はまた、笑った。