▽ story

ひあそび
「じゃーん」
暑さが連れてくる気だるさを顔に思いっきり出している静雄の目の前にコンビニ袋を差し出す。冷たかったコーヒーの缶は暑さで温くなってしまったのか、静雄がそれ以上飲む気配は無い。コンビニ袋と引換えに静雄の温度も少し混ざったそれを静雄の手の中からひったくると、一気に喉へと流し込んだ。一方の静雄は、コンビニ袋の中を覗き込んでいる。程良く中身の詰まった袋から目線を離すと、私に嫌そうな顔を向けた。
「…なんだァ、これ」
「見てわかんない?ばっかだなー花火以外の何物でも無いじゃん、頭沸いちゃったー?暑すぎて」
「…テメェ」
「うっそー、まじでゴメン 女の子投げようとするとか大人気ないからやめようよ静雄」
襟元を掴む静雄の手が汗ばんでいる。そりゃあ全国でばたばた人が倒れているような猛暑の中で涼しい顔をしろってほうが無理よネ。静雄のこめかみからは汗がだらだらと、珠のように滑っていく。あー綺麗。意外に静雄って肌が綺麗だから汗が映えるんだよね。それから…ベストの合間から見える、汗で肌に張り付いたYシャツ。ああーエロいわ。どれもこれも独り占めにできるのは恋人である私だけの特権だと思うと…うん、凄く優越感がある。今すぐにでもここで叫んでやりたい。『静ちゃんは私の恋人なんだぞ』って。そしたら静雄はどんな顔をするんだろう。照れる?怒る?まあ、どちらでもいいけど、止まらない独占欲が静雄への愛を増幅させる。
「…何ニヤニヤしてんだよ」
「いやー?何でも無いよ。そだ、静雄、何時に仕事終わる?花火やろうよー、折角買ってきたんだし」
「…こんなにクソ暑ィのにか」
「いいじゃん、たまにはさあ。夏を楽しまなきゃソンよ?静雄の仕事が終わり次第この公園でやろうよ、ね?」
くらえ、必殺上目遣い。彼女の上目遣いに勝てる男はいないだろうと思った矢先、静雄は物凄く顔をしかめた。そんなに私がぶりっこを演じるのが気持ち悪いか。一転、少しむくれていると、しびれを切らした静雄がOKを出した。夜8時にまたここに来いとの事。喜ぶ私を尻目に静雄は、私の頭を一撫ですると、また仕事へ戻っていった。
髪の毛が乱れた。小さくなっていく背中に「ばーか」と呟いてみるも、ニヤニヤが止まらない。
*
「で、テメェはこんな雨ン中ずっと俺を待っていたと」
「…さようで御座います」
ご機嫌なお天道様とはおさらばで、静雄が来る10分前からこの通り、足元に深い水溜りをつくるほど雨が降っているわけで。傘なんて持ちあわせていなかった私は頭のてっぺんから足の爪先までびしょ濡れ。静雄はというと、ちゃっかりビニール傘なんて持っている。花火が入った袋は口を縛っておいたから、湿気てたりしないはずだけれど、なんていうか…私の気分はどん底。湿気ているなんてもんじゃない。
「あーあ、静雄と花火出来ると思ったのになァ。ま、夏は明日も明後日もあるわけだし、いいんだけどさ」
「8月なんて始まったばかりだろうが。…取り敢えず俺ん家のほうが近えか…シャワーくらい貸してやるよ」
「あんがとー」
今日の洋服は黒系統だから、下着が透けるとかそんな少女漫画みたいなドッキリハプニングは無いけれど、びしょ濡れの女と相合傘も結構恥ずかしんじゃないか静雄さんよ。なんか変な勘ぐりされたら嫌だとか思いつつ、他人の目を避けながら私たちは歩いた。胸に抱えたビニール袋が時折空から水を受ける。できるだけ濡らさないようにしていると、心なしか私が傘に入る面積が広くなったように思える。
「静雄、もうちょっと入りなよ。どうせ私、濡れてるんだし。」
「いいから入っとけ」
「ん。」
いつもは頭のすぐ上にある傘の屋根が、いつもより遠い。
私だって身長は極端に低い方ではないけれど、どうしても生まれてしまう身長差が改めて静雄と並んでるということを実感させた。傘を持つ静雄の手が時々濡れた腕に触れる。それが、とてもくすぐったくて、気持ちいい。
*
廊下を濡らすまいと駆け込んだシャワールーム。服を脱いで、適当に洗濯機に衣類をつっこんだところで気がついた。人様の家なのに汚れ物入れてしまった…と。まあ…それも今更か、と苦笑する。タオルの入っている棚の位置だって覚えてしまったし、シャワーの適温も覚えてしまったくらいだ。今更何をためらう必要があるんだろう。こういうふうに深い関係になっていくからこそ、手放したくなくなる。測ることが出来ないくらい静雄が…、
「やーめた」
ナーバスモードに入る前に思考をストップさせる。これ以上広げていくと、いらぬ心配までしてしまうから。そんな顔で静雄の前に現れることなんて出来ない。
髪の毛を拭き、静雄が用意してくれていたのであろう洋服に袖を通す。これも以前に私がおいて行ったものだった。どういう顔で、静雄はこの洋服を選んだのか少しだけ気になった。
静雄のいるであろうリビングに足を運ぶと、そこには静雄の姿はなかった。代わりにベランダへと続く窓が開いていた。その奥で静雄は何かしているらしい。覗き込んでみると、火の付いた線香花火を一人で見つめていた。
「…しずお、花火…」
「楽しみにしてたんだろ。ベランダじゃこんくらいしか出来ねえけどな。てか、なんで線香花火50本入りとか買ってきてんだよ。終わる気がしねえぞ」
「あ…は、いいじゃん…」
ん、と差し出した細い一本に、静雄はいつも煙草に火を点ける時に使用しているライターで火をつけた。パチパチと燃えるそれに眼球が刺激された。すぐ側には雨。手元には火。なんともアンバランスな環境であったものの、ミスマッチ、とまではいかなかった。
徐々に先が玉になっていく。落ちるか落ちないかの瀬戸際、私は静雄の表情を盗み見た。静雄は、私の線香花火を見ているのではなく、私を見ていた。
「…なに」
「お前、まだ臨也んとこで働いてんだよな」
「…うん」
ポトン、と紅い玉が落ちた。静雄がもう一本に火を付けて、私に渡した。それでも、静雄が自分の手元を見ていたのは一瞬で、すぐに私の顔を見つめる。
「正直俺は、それが気に食わねえ。なんでか分かってるよな?」
「そりゃあ…分かってますけれども」
自分の嫌いな奴のところに彼女が出入りしてるなんて嫌だよね。わかっているけれど、給料はいいし、やめようたって、この時代職なしはきついものがあるし。
パチパチと跳ねる火を眺めながら私は頭を悩ませた。臨也とはああいう関係なんて全く無いっていっても、全部を把握しているわけではない静雄は心配をするかもしれない。
「うーん…じゃあ、臨也んとこ止めるからさあ、静雄のおヨメさんにしてよ」
「構わねえよ」
「え…え?!」
半分冗談だった私の言葉にあっさりと肯定する静雄。思わず指先から花火を落としてしまいそうになる。慌てて掴み直そうとすると、私より幾らか大きい手が私の手を包む。反動で火の玉が落ちたのと、静雄の顔が近づいて来たのとは、私が思った限りでは、ほぼ同時だ。
ただ、火の玉が落ちた後は分からない。
「…ゴミ袋持ってくるわ」
しばらくすると、私の顔を固定していた手が離れた。静雄も離れると、部屋の中へとさっさと戻っていってしまった。
「ええ…すんごい恥ずかしい…んだけど」
花火より熱を持っているんじゃないかと錯覚するくらい、頬は熱かった。静雄が帰ってくる前に早まった鼓動が収まればいいのにと、どしゃ降りの雨の中に頭をつっこんでしまおうかとも思った。