Silvia

story

 10/04/05


刃物

電気のついていない部屋にある、黒いチェアに深々とアキは腰掛けてみた。持ち主は表向きは情報収集ということで散策に出向いている。一人で住むには広すぎるマンションの一室にて目を瞑る彼女の姿は、窓から差し込む夕日を浴びて影となっていた。 

寝ているのではないかと見間違えるほど顔は安らいで見えたが、時々薄目を開けて左腕にまかれた時計を気にしては顔を渋める。また一つ吐息をつくと、目を瞑る。小一時間、それの繰り返しに苛立を感じ始めた途端、見計らったのかどうかは分からないが部屋の主が現れた。ご機嫌なのか、今にもスキップでもし始めそうな勢いである。

「おかえり。遅い」
「たっだいまーってまだ5時じゃないの 僕はいい子の小学生じゃないんだけどなあ」
「あんたが鍋やりたいっていうから材料買って待っててあげたんじゃないの。さっさとやるよ、鍋。」
「ハハッ、何?遅い遅いって言ってて実はあんたの為に待ってたわけじゃないんだからねみたいなニュアンスを含めたその言葉、ツンデレ?何それアキちゃんって実はツンデレ属性だったんだ」

全く意味がわからない。分かりたくもない。臨也の言葉にスルーすると、近くのスーパーで買ってきた材料をキッチンに移動した後、冷蔵庫から取り出し始める。この時期はどの店も鍋フェアなるものをやっており、野菜コーナーの一角に行けば一通りのものが揃う。今回はちゃんこ鍋である。
選りすぐった鮮度のいい野菜を切り始めるとすぐにジャケットを脱いだ臨也が後ろから覗いてくる。

「本当は波江さんも誘おうと思ったんだけど、遠慮するって言われた」
「そ、別にいいんじゃない?僕としてはアキちゃんと二人きりで鍋なんて美味しいシチュエーションを独り占めできるんだから全然構わないんだけど」

今頃気づいたのだがこの臨也との距離が果てしなく邪魔である。包丁を持つ手の肘が時折臨也のみぞおち付近に当たるのだ。それほど彼が接近しているのがわかる。会話するにも耳元で話されるのでこそばゆい。一つ、乱雑な言葉を使って表現してみるのならば"ウザい"が一番適当だろう。
にんにくをスライスしているあたりでそのイラつきが頂点に達したので包丁を引く腕をそのまま臨也のみぞおち深くに持っていった。 …のだが

「甘いねえ」

そのままグッと肘をつかまれたかと思うと次に臨也の手が腕に伸びて、つかむ。
抵抗しようと思った矢先に片方の腕も捕まれ、頭上で臨也の手一つで二本の腕の自由を奪われてしまった。勿論右手には未だ包丁が握られたままである。

「そういうさあ、可愛いことされちゃうと 困るんだよね 僕が」

ズイ、と顔を近づける臨也にあくまでも冷静にアキは言う。

「包丁が危ないんだけど」
「ハ、俺に対する心配よりそっち?もうちょっと身の危険感じないの?」

といいつつも、片手で私が右手に握っていた包丁を取り上げ、まな板の上に乱暴に置くと、代わりに自身の指を絡めた。
暖かくも冷たくも無い、人間らしさをまとった温度がやや冷たいのアキそれと交わる。

「最近さあ、僕アキちゃんのこと好きすぎて正直ヤバイんだよね」
「貴方の好きは私が人間としての好きなんでしょ、こういう事言うと女々しいって思われるかもしれないけどそういう一括りの内の存在って嫌いなんだよね、私。」

「いいや、アキちゃんは 特 別」

含みのある言い方をする臨也にアキの眉間のシワが一つ増えた。それに気づいた臨也は拘束をしている手とは反対の手、つまりアキと指を絡めた手を離すと眉間のシワを解すように押す。
そのまま鼻筋、唇、顎へと指を持っていく。
臨也の顔が近づき、近づいてどちらかが少しでも動けば唇同士が掠れる距離まで近づいた。

「私さ、そういう安っぽい言葉も嫌いなんだよね」

と臨也の唇と掠れさせながら言うと満足気な顔を見せた臨也がより深く、唇の感触を確かめるのであった。

─こりゃ夕飯もお預けね

どこか遠くの意識がそう呟くのをアキは感じた。

修正:20120410