Silvia

story


雨傷

世の中の不景気にある意味では便乗してお天気のお姉さんも不調気味なのかここ最近ではめっきり天気予報が当たらなくなってきている。 何が「明日は久々の新藤快晴でしょう。傘は絶対に必要ありません」だ。もう4月も半ばだというのに相変わらず夕方のニュースでは連日のように数年ぶりの4月の最低気温の更新を取新藤り上げている。一度クリーニングに出したコートを三日後に着るとは思わなかった。ここ池袋の雑踏の中を歩いていると泥ハネは回避しようもない。三日前には新藤真っ白だったコートはところどころに茶色い染みができている。ああ、落ち込んだ。唯一救われたことといえば今日の天気予報のお姉さんの言葉を信じずに傘を新藤持ってきたことくらいだろうか。…と言ってもサンシャイン通りは人が多いので傘がぶつかると雨の雫が肩やら─もちろん、下ろし立てのコートにも─にかかる新藤のだけれど。

もともと人が多いところは好きではないし、これ以上濡れてしまうと自分自身のモチベーションが下がることが目にみえていたのであまり気は進まないのだけれど裏路地に入ることにした。

ラーメン屋の裏の路地かなにかなのだろう、食欲をそそる匂いが鼻腔をくすぐった。早く帰ろう。帰って好物のオムライスを作って、温かい風呂に入って、買っ新藤てきた漫画をベッドの上で開きつつうとうとしてやるんだ。と雨が薄暗い裏路地に積んである大きなスチールの缶を叩く音を極力耳に入れないように早足で歩いた。

出来れば何も出てきませんように─

幽霊の類の他にもカラーギャング同士の抗争とかカツアゲの現場とか見たくないし出会いたくも無い。 路地を抜けるまで後少しというときにふと明るい金が視線に入った。

「え?」

路地の先から漏れてくる僅かな光が雨粒と背の高い男の人の金髪をうまく反射していて思わず見入ってしまう。池袋では様々な髪の色をした人がいるが、ここま新藤で綺麗に魅せるようなのは始めてである。ほんの数秒、立ち止まって壁にもたれかかるバーテンダー姿の彼を見ていると目線がかちあってしまった。あわてて目新藤線を背けてそのまま前を通り抜けようとすると今までラーメンの匂いがしていたのにいきなり鉄の匂いが立ち込めたのに気づく。さっきまでとのギャップに少し新藤むせたものの、匂いの元であろう彼の姿をもう一度よくみるとベストの下のワイシャツの右腕部分が血に染まっているのが見えた。

そのまま無視していくことも考えたのだが、職業柄どうしてもその考えを肯定するまでにはいかなかった。

「あ、あのっ」

こんな暗いなか、グラサン越しに見えているのかどうかは分かりかねたが彼は私の顔をじっと見た。

「何か用か」

その声には怒気は含まれては無かったが雨に振られびしょ濡れの上怪我しているのにいい気分でも無いだろう。面倒くさそうに彼はしゃべった。

「あなた、怪我してますよね?大丈夫ですか?」

「あ?ああ、仕事中に少し刺されただけだ。んなもん絆創膏か接着剤で治る」

刺された、と彼は言った。イントネーションから考えるとまさか虫などではあるはずがない。もしかしたらナイフなどの凶器で刺されるような危険なご職業…だとしたらこの人と関わるのはまずいかとも思ったがそんなことでは保健師の名が廃る。

「私この近くの高校の保健師なんです。今年からの新任─ですが、勉強とか講習もしてきたつもりだし…多分大丈夫なはずなので手当させてもらえませんか?怪我してる人を放っておけなくて…」

じっと何かを考えた素振りを見せた彼だったが「いいぜ」と答えを出すと右腕を差し出した。

*

「はい。これで終了です」

常にバッグの中に簡易応急処置セットが入っていたのが助かった。まさかこんな町中で人助けができるとは。などとよく分からない達成感にうつつを抜かしていると、彼は包帯に巻かれた自分の右腕をじっと見つめ、何を思ったのかブンブンと腕を振り回した。

「ああっ、駄目ですよそんなことしちゃ…傷開いちゃうじゃないですか」

「いや、上手く手当出来てるもんだなと思ってよ。それよりお前、アキは?」

「新藤アキ…ですけど、あなたは?」

彼は「は?」とでも言いたげな顔で私を見つめた。なんだ?私は何か変なことをしただろうか。こちらこそきょとんとした顔を見せてやると、彼はため息混じりに声を発した。

「平和島静雄。知らねえか?自慢じゃねぇが結構有名だと思うんだけどな。バーテン姿でここらへん歩いてるのっつったら俺くらいだろうし」

平和島静雄

確かに彼はそう言った。池袋最強にして最も恐れられる存在であって…確か保健室に手当されに来た生徒と雑談していたときに話題に上ったことがあったような新藤気がする。─ああ、そういえばグラサンしててバーテンの格好しているってのも言っていたような。…バーテン?そうだこの人もグラサンでバーテン姿で…

「あ…」

「ようやく気づいたのかよ。普通の他人に声掛けられんのなんて、そうそうねぇからなにかと思えばそういうことだったのか」

”普通の他人”というワードにも気になったがそれよりも先に私なんて人に声をかけてしまったのだろう。…とは思ったものの聞いていたよりも平和島さんは悪い人ではないんだろう。でなかったら私はとっくのとうに何かしらされているだろうし。


取り敢えず手当の時に持っていてもらった傘を受け取る。少し触れた指先がほんのり熱を抱いた。平和島さんは傘を持っていなかったので私がここを離れてしま新藤えばまた平和島さんは雨に打たれることになる。その旨を話すと彼は別にいいとぶっきらぼうに言ったが私の良心がそれを許さなかった。

「別に濡れても構わねえよ。ンなもん今更だろうが」

「いいえ。 ダメです。怪我している上に風邪なんか引いてもらってしまっては私が後ろめたいです。それに、私は結構丈夫に出来ているので濡れても平気だし、家だってそう遠くないし、傘だって安物だからあげたって別に困らないし…」

一気にまくし立てると胃と心臓の間がきゅんと鳴ったような気がした。しばらくの沈黙の後、唐突に平和島さんは笑い出した。ずっとしかめっ面しか見てなかったから凄く新鮮である。

「そこまでムキにならなくてもいいだろ。わかった。この傘は俺が借りる。いいか。もらうんじゃねえ。借りるんだ。いつかこの借りは傘と一緖に返す」

「そういうことなら。」

いいですよ、と相槌をうつと平和島さんは満足気な顔をした。

*

ありがとな、と礼を残して黄緑色の傘を右手に携えた平和島さんが消えていった方向を私はしばらく見つめていた。また会えるだろうか、無意識の内にそう期待している自分がいる。少しだけ非日常に踏み込めた気がしてコートが汚れるのも気にせずに水たまりを勢い良く踏み込んだ。