▽ story

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そいつは私の心に勝手に入り込んだ、言わば毒のような存在として私につきまとった。やめろと、私に関わるなといえば、何も言わずただへらへらと笑って私の隣に座り込んだ。彼が天邪鬼な性格だったのか、それとも本当に…。分からないけれど彼は常に私の腕をつかんで離さなかった。時には私の手の甲に騎士のようにキスを落とし、また時には私のことを蔑むかのように見下した。私が寂しいと思った日の夜の翌日、起きると必ず隣にいて。それでも、彼は人間が好きだと言った。そんな男を、私は昔から知っていたような気がした。
ボサボサの髪の毛で煙草をふかす。本日の仕事内容の確認のためにパソコンの電源を付ける。起きたばかりの頭はいまいち煙草の味を認識してくれなかった。それでも機械的に煙を吐いていると何かが頭を撫で付ける感覚がした。そちらに目をやると、臨也が手櫛で私の髪の毛を梳いていた。痛みまくった髪の毛を触っていてもいい気分はしないだろうと言うと
「アキの髪の毛だからそれでいいんだよ」
といまいち理解しがたい肯定をくれた。数分私の髪の毛を弄っていると、その内にふらふらと何処かへと行ってしまった。起動中のパソコンの画面に反射して映る私の髪型はそれと言って変わってなかった。どれだけ不器用なんだと笑う。
おそらくだけれど、折原はこういったことに慣れていないんだと思う。彼が言うには、人間が…彼の予想を裏切るような人間が好きなんだと言う。これもまたよく分からない話だが…少なくとも彼が好きになる人間像には程遠い人間が私であるというのに、彼は私に飽きず世話を焼く。しかし経験が少ないのだろう、寧ろ生活全般は手を焼かれる側だったはずだ。どうしてこうも私に構おうとするのか理解出来ない。
…本当、彼については解らないことだらけだ。
年も、職業も素性が掴めない。唯一知っているアキも、もしかしたら偽名かもしれないし。どうして私を知っているのか、どうして私のことを好意的に思っているのか。聞いても何の足しにもならないから聞かないけれども。不思議だとは、思う。
「アキ、コーヒー飲むよね」
「ん、サンキュ」
何処に行ったかと思えばコーヒーを淹れてきたらしい。もう既に人の家の家電を勝手に使うななど言っていても仕方なく、折原の気が利くうちはお咎めなしとしてあげることにした。使い方はいやによく知っているなとは思ったけれど。
インスタントの…誰が淹れても不味く出来る仕様なのかと疑うようなコーヒーの味も、もう慣れた。これも折原が持ち込んできた物の一つであった。気がつけば折原の私物が増えてきたような気がする。過去に一度、部屋の隅に置かれた彼のノートパソコンに触ったことがある。パスワードの解除コードを打ち込んでもエラー表示が出るだけだった。彼にはセキュリティの知識があるのだと言う事、つまりはそこら辺の一般人では無いことだけが分かった。なんとか解除出来たが、パソコンの中身なんてただ、ソフトでハードディスクが埋められていただけだった。ペイントソフトやら表計算ソフトやなんだか使用用途が解らないものまであったけれど、折原の素性を知ることが出来るような手がかりは一つもなかった。
「折原はさあ、何がしたいわけ?」
「何って?」
「いきなり私の事好きだと言い始めたかと思えば家に出入りしちゃうし、目的はどうも金品じゃないっぽいし。でも普通の人では無いよね、鍵が掛かってても家に侵入できちゃうんだし。かといって、何か私に危害を与えようとするわけでもない。解らないんだよね、折原の目的が」
一気にまくし立てると折原は何だかしょぼくれるような表情を見せた。悲しそうな、そんな表情を私は知った。多分、中々コイツはそういう表情を作る人間じゃないと思っていた。折原のことはよく知らないけれど、イメージからして不敵に笑っていたり何か悪巧みをしている時の表情の方が似合うと。「そっか」と一言呟くと折原は私のベッドに腰掛けた。シーツがぐしゃぐしゃなのも構わず項垂れるように座った。
「やっぱり、自分が記憶喪失だって自覚は無いわけなんだよねぇ。分かってたけどさあ、こうも俺だけ忘れ去られてるのっていい気分じゃないよね」
「…記憶喪失?私が?そんなワケがないでしょ、記憶がブッ飛んでたら今の仕事だって出来るはずがない」
私の仕事は、所謂”裏の仕事”である。他人のパソコンにクラッキングして情報を抜き出したり…と言うような機械相手の仕事である。ましてや、依頼人への接し方や繋がりなどは隅から隅まで覚えておかなきゃ色々と不味い。それを忘れていたら今頃私は独房行きである。それなのにコイツは私が記憶喪失であるという。突然出てきた記憶喪失という何ともSFチックな単語に私は追いついていくことが出来ない。
「一部だけ、ね。この間さあ、事故ったでしょ」
「え?ああ、久しぶりに外に出たからね。事故っていっても自転車とぶつかって少し頭を打っただけで──」
まさかとは思うがその時に一部だけ──折原のことだけ記憶が飛んでしまったのだろうか。そんなことがある筈がないと断言は出来ないが、しょっちゅうある事例では無いだけに私は折原に疑いを掛けてしまう。
「俺のことだけ忘れるなんて酷いよねぇ、君の一番大切な人なのにさあ」
「…とか言って私を混乱させて此処にある情報全部持ってくつもりなんじゃないの?」
「は、俺に情報を売ってたのに俺が情報を盗んだら は商売上がったりじゃない。俺はそんなことしないよ」
”情報を売っていた”その言葉に私は一つの引っ掛かりに気づく。確かに、過去の依頼者の顔とアキを挙げていくと一人だけ欠けている部分があったような気がする。それが折原だと?でも万が一の為に依頼者のリストは作成していないし、電話番号なども頭の中だ。調べようがない。全ては私が折原を信じるか、信じないかで決まる。
「思い出さないかなあ。折原臨也、来神高校の卒業生でアキと同窓生だよ。静ちゃんのことは覚えているんでしょ?あ、あと、あの闇医者も。岸谷新羅。あと…門田京平。俺は情報屋をやっていて高校の頃から静ちゃんと仲が悪くてね、アキもよく巻き込まれたじゃないか。後、俺がこの部屋に自由に出入り出来るのも合鍵があるからだよ。恋人同士なんだからあたりまえだと思うんだけど」
高校の頃なんて振り返る必要がなかったから思い出すことも無かったけれども、確かに静雄、新羅、門田といった数少ない友人の事を思い出すと自然と一人、同時に思い出す男がいた。ただ、顔がわからず、シルエットとなって私の記憶を再現する。
「ああ…なんとなくは思い出した、かな。でも…ごめん」
「いいよ別にさ、 は俺の事嫌いじゃないんだろ?」
「好きだって言ってくれてるんだから悪いヤツだとは思えないけどね。裏では何考えてるか解らないけど」
「アキらしいね、いいよ、また惚れさせてみるだけの話さ」
急に何かを断ち切ったかのような顔をした。パソコンに向かいっぱなしの私を折原は急に抱きしめる。この感覚も、遠い何処かで体験したことがあったように思えた。未だ思い出せはしないけれど、嫌な感じもしない。心地良い折原の鼓動が薄いTシャツ越しに伝わる。
「アキが俺を思い出すまでの燃料補給。無理矢理にでもキスしたらさすがに嫌がるだろうからね。これだけで我慢しておくよ」
それだけ言うと折原は仕事があるらしく、部屋から出て行った。しばらくの間私は動けずにいた。パソコンのデスクトップをだらしなく、ぼんやりと見つめていただけであった。「折原…臨也」何度もそのアキを呟くと、記憶の断片が浮かび上がってきた。折原を思い出す日も遠くないような気がする。無意識のうちに折原を思い出したいと考えている自分に苦笑した。