Blurry
eyes
久しぶりに土曜日が休みになった。自分で言うのも気が引けるが、雑誌の煽りから拝借すると、僕は”売れっ子”ヒーローらしい。多少の自覚は無いでもないが。お陰様で休日を返上してまでも身を粉にして働いている。だからこそ、貴重な時間を有意義なものにしたいと考えるのは自然なことだ。
勿論、僕にとっての有意義は、僕の大切な人と時間を過ごすことだ。虎徹さん達、ヒーロー仲間も大切な人の内に入るが…。ここでの大切な人とは、僕と恋仲である女性のことだ。名前はさんと言う。女性らしい女性で、(僕の贔屓目もあるが)非の打ち所のない女性だ。…もっと一緒にいたい。もっとさんのことを知りたいと思うのは当然のことだろう。僕の私的な時間をいくらさんに費やしても後悔することは無い。そう思えるくらいに、以前の僕とは打って変わって、自分以外の人を深く想えるようになった。きっかけをつくったのはやはり虎徹さんであろうが、今は…、虎徹さんに申し訳ないくらいにさんの事しか考えられない。今日は金曜日。明日が休みなこともあり、多少無理をしても融通がきく。仕事帰りのさんを誘って、食事にでも行こうかと考えている。アポロンメディア社の近くに、新しいレストランが出来たという噂を聞いた。彼女はあまり高級で、いわゆる”芸能人御用達”というような店は好まなかった。噂のレストランは、素朴だが、品がある店だと聞いた。彼女は気に入ってくれるだろうか。
…本当は明日の土曜日一日、さんと一緒に居ることが出来るのならば願ったりかなったりなのだが。どうしても言い出せずにいる僕がいる。だから、偶然を装って会社帰りに食事を誘うくらいにしか勇気が出ない。恋人同士なのだから遠慮することもないだろうと思う反面、さんが好きだからこそ慎重に事を運びたい思いもある。
アポロンメディア社のエントランスにて、帰宅するであろうさんを見つける。浮かれ気分なのを周囲に悟られないように、何気なくさんの後ろに近づく。その細い肩を指先で叩く。はっと振り返ったさんは、驚きの表情を見せた。背後にいた人物が僕だと認識すると、直ぐ様笑みに変わる。つられるように、僕も自然と口角が上がる。何の合図も無しに、エントランスの隅へと寄る。物悲しい話だが、僕の職業上、社内と言えども目立つことは避けたかったからだ。
「さん、これから時間ありますか?」
勿論、”イエス”の言葉を待っていたし、その言葉が来る前提で僕はさんの答えを待っていた。しかし、さんは若干表情を曇らせると、次には申し訳なさそうな表情を作る。僕にも不安が感染する。
「ごめんね、バーナビー…。今日は、その、ちょっと」
期待を裏切られたショックで、少しだけ胸が重くなる。裏切られたといっても、こっちが勝手に掛けた期待だったので、さんには何の非も無いのだが。何も気にしていないとでもいうような表情を作る。そして「大丈夫ですよ、じゃあ、また今度誘いますね」と、一言つける。本当に申し訳なさそうな顔で、さんは僕を見上げもう一度僕に謝ると、自動ドアを抜けて、まだ蒸し暑い夜のシュテルンビルトへと歩んでいった。
「フラれちまったな」
僕の斜め後ろから声をかけてきたのは、虎徹さんだった。いつから彼女とのやりとりをみていたのだろうか。もしかしたら、物好きな虎徹さんのことだから最初からかもしれない。
フラれたわけではないが、何とも返答できずにいる。僕自身を過大評価するわけではないが、一応彼女の恋人という立ち位置にいて(それに、付き合い始めたのはごく最近のことだ)、どうして僕の誘いを断ったのだろう。それほど急ぎの用事でもあったのだろうか。しかし、彼女も明日は休みだと聞いている。僕が今回、明日に休日をとれて良かったと思えた要因の一つだ。…もしかしたら、話の流れで明日も会えることになったかもしれないし。
「も明日、休みみたいだしよ、明日に予定を組めば良かったんじゃないのか?」
「…一秒でも長く彼女と一緒にいたいと思うことがおかしい事ですか?」
「い、いや、おかしいとは言ってねえじゃねえか…!」
「そう、ですか…。すみません、僕ももう帰りますね」
*
帰る、といっても真っ直ぐ家に帰ろうとは到底思えなかった。彼女がイエス、の返事をしてくれたら今頃二人でワインでも開けていたのだろう。そのために開けていた時間の、埋め合わせが思いつかなかった。車で出社していたが、とにかく心が落ち着くまで駅周辺を歩くことに決めた。もうすでに閉店のため照明を落とした雑貨屋の角を曲がる。駅の裏手へと回り、少し歩いた先に、物寂しい映画館を見つけた。映画の告知ポスターが無ければ、何の建物かわからないくらいにこじんまりとした佇まいだった。上映スケジュールを見ても、元々シアター数が少ないのか、映画が一日に片手で数えるほどしか上映していなかった。なんとなしに、映画館へと入場する。受付ロビーには受付の女性以外、設置してあるソファに、ご老人が一人タバコを蒸かしている。その他には人は見当たらなかった。
そういえばいつだったか、彼女は映画好きと言っていた。次に会ったときに話しのネタでもしようと、頭を冷やすことも兼ねて映画を見ることにした。館内のタイムスケジュールを見直すと、後数分で上映が始まる映画があった。その映画はタイトルだけ見ると、恋愛映画らしいが、たまにはそれもいいだろう。受付へチケットを買いに行くと、受付の女性は直ぐに僕の事がわかったのか、料金を払い終え、チケットを受け取った際に応援の言葉を口にした。社交辞令的に、礼の言葉を述べる。
指定されたシアターに入ると、場内は既に入り口付近以外の照明が落とされていた。
スクリーンの明るさによって、影となっている観客の人数をざっと数えると、自分を含めて丁度片手で数えられる程であった。元々あまり映画館に足を運ばないのもあり、この時間帯にこの人数というのは、果たして多いのか少ないのかは分かりかねる。
出入口の付近の座席では、カップルが身を寄せ合っている。たかが他人なのに、どうしてこうも、薄ら寂しい気持ちがせり上がってくるのだろう。言わずもがな、その原因には彼女を想ってのことである。先刻の出来事から、気持ちを落ち着けるという意味でも映画を見ることを選んだはずなのに、どうしても心乱される。
…逢いたい。
今どこに彼女が居るのかもわからないけれど。ほんの数十分前に顔を見たばかりだというのに…。
ふと気づくと、入り口の照明も電源が落とされ、頼れるのはスクリーンの明かりだけとなっていた。急いでチケットに印刷されている自分の席番号を確認し、早歩きで席へと向かう。しかし、自分の席に女性が既に座っていた。こうも観客が少ないと、指定席の概念も薄れ、気分に任せて席を取ってしまうのも否めないが…。しかし、なんとなく落ち着かないので声を掛けようとしたその瞬間だった。近づいた僕に気づいたのか、女性が僕に向けて顔を上げる。…一瞬、夢かと思ったのだが、そこには僕が焦がれていた人が、驚いた表情を浮かべながら僕の名前を呼んだのである。
「ば、バーナビー?」
*
私はまず一言、バーナビーに誘いを無下にしてしまったことを謝った。私の習慣より先に優先すべき人がいた事についても謝罪をした。私は学生時代からの習慣がある。毎週金曜日にレイトショーを見に行くというものだった。一週間の収めとして、物思いに耽けながらぼんやりと映画を見ることを習慣としていた。社会人になった今でも続けていることを少し自分でも疑問に思うが、それでも、どうしてもその習慣をこなさないと落ち着かなくてしょうがない。
バーナビーが納得してくれるかは分からなかったが、習慣以外の他意がない。それ以上会話が無いまま、映画が始まる。本来のバーナビーの席に私が座り、その隣にバーナビーは腰掛けた。…物思いに耽けるどころか、隣にバーナビーがいることによって、落ち着かない。映画は淡々と進んでいくというのに、バーナビーが身動き一つするだけで、気になってしょうがない。ずっとバーナビーに目線をやるのも可笑しいと思い、映画に集中しようとするが、それでも横目でバーナビーを見てしまう。
…全く映画の内容が頭に入ってこない。いつのまにか、主人公とその恋人が泣きながら抱擁を交わしている。海を背にお互いが見つめ合い、少しずつ、顔の距離が近づいていく。もうそろそろエンディングかと思ったその時、不意に肩を叩か
れる。顔をバーナビーに向けた瞬間、視界がバーナビーの身体によって遮られる。今見た映画のワンシーンのように、お互いの顔が近づいていく。互いの唇が重なるまで後数センチ。触れるか触れないかのところで映画のエンディングがかかる。出だしが唐突で、お互いに驚いてしまい、反射的に身体が離れる。なんだかそれが可笑しくて、笑い出してしまった私につられてバーナビーも笑う。
「…帰りましょうか」
「…うん」
差し出された手を取る。何周りも大きなバーナビーの手のひらが異様に熱かった。