Diary
暗い部屋に唯一光を与えるテレビ。夜中の音楽番組。オリコンのヒットチャートは遠距離恋愛をモチーフにした歌を紹介している。最近の自分より若い金髪で派 手なメイクの女の子が顔をくしゃくしゃにしながら歌っていた。歌詞はありきたりな「あいたい」とか「さみしいよ」とか普段なら鼻で笑ってしまうようなもの なのに今の私には痛いほど分かってしまうのが悔しい。
金髪の彼は今何をしているのだろうか。
歌手の歌う歌詞になぞらえて彼を想ってみる。
私の事を想っていてくれているだろうか。この夜空の下では彼と私は繋がっている。

 ……馬鹿みたいだと思った。静雄はいつでも目の前の事に夢中になって生きている。そんな彼が連絡一つよこさない彼女に何を想おう。

 仕事が忙しくなかったら。こんなに指一つ動かすほど億劫なほど疲れていなかったら携帯電話のアドレス帳を開いて。ハ行にある平和島の名前を探して。でも 長い時間彼の声を聞いていないから今更いきなり連絡するのも可笑しいと思い始めたので通話ボタンも押せやしない。ああ、こういうのが始まったら最後、自然 消滅ってなるのかなあ。
曲のクライマックスと同時に何かせり上がるものを感じた。これはなんだろう、なんて乙女的な思考は持っていない。涙だ。人間が生理的または感情的に流してしまう水。涙の原因なんて分かっているわけで。歌詞のように『なんでだろう、なみだがとまらない』なんて考えは無い。
よく考えてみれば曲のように綺麗事なんて全く無い。そもそも『会いたい』なんて欲求じゃないか。相手の都合も考えずに会いたいなんて思うこと自体、自身のエゴだ。それでもずっと脳内に残っている彼を見続けるだけでは足りない。
 実際に静雄をこの眼で、肉眼で、見て、手のひらを精一杯開いて、触って、二本の腕にくるまれて。名前を 呼んで、呼ばれて。

止まらない涙はついにはクッションに染みを作った。染みと肌が接している部分が冷たい。嗚咽のでるほど激しい泣き方でもないのに涙は筋を絶えすことなく流れていった。

。おい、生きてるか」

意識が飛んでいきそうだった。無意識に流れる涙に意識を委ねてそのまま流してしまおうと思った矢先、かろうじて意識を繋いでくれたのは低く、ぶっきらぼうで、私がずっと脳内で繰り返しリピートをさせてきた私の名前を呼ぶ、静雄の声。

「し、ず」

声が出なかった。
しずお、シズオ、静雄。静雄静雄静雄静雄。
ずっと呼びたかったのに肝心なときに限って声が出ない。涙は未だに流れ続けているのに。その労力を声帯に回したいと思った。
ついには声でなく嗚咽が漏れた。ひく、と身体が痙攣する。ぼやけた視界の中に生きる静雄は無言で私の脇と脚裏を抱えた。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。

「し…」
「死んでんのかと思ったぜ、連絡一つよこさねえし」
「ご、…め」

嗚咽と力が入らないので上手く喋れない。そんな私に静雄は優しく「喋んな」と囁いた。

「ま、あのノミ虫野郎経由でお前の仕事が忙しい事知ってたし心配はあんましてなかったけどよ、一応流石に帰宅してんだろと思ってこんな時間に様子見に来て みりゃ鍵はかかってねえし、無用心だとか思って声掛けて入ってみようとすりゃ返事すら返ってこねえし。……おまけに泣いてるしよ」

テレビの電源を足の指で消す静雄。いつもなら何してんのよと怒るのに今はもうどうでもいい。というか本当のことを言えば夢なのか現実なのかすら判別がつか ないほど眠い。今瞼を降ろしてしまったら静雄はきっと去ってしまう。何も言えないまま、また静雄の名前を呼べないまま一日が始まってしまう。
私の身体をベットに横たえる静雄。必死で瞼をこじ開けようとする私の眼にかかる前髪を大きな手で掻きあげたかと思うとそのまま、つま先をドア方向に向けよ うとする。最後の力を振り絞って静雄のベストを握った。力なんて殆ど入っていないのに幸い人差し指がひっかかったのか、静雄は立ち止まった。

「あ?」
「し…ず、あ…のね」
「おう」
「   」

*

朝一番、微かにカーテンの隙間から差し込んでくる朝日がの顔を照らした。の脳裏には、また朝か、という出社することの億劫な気持ちと妙にリアルだった夢の内容が映った。

「あ゛ー」

無意味につぶやいてみた。言葉にはなっていなけれど、かすれた声と重い瞼が泣いていたことを実感させた。
 しかしどんな理由があったって今の企画を成功させなきゃならない。会社に行かないなんて選択肢を選べるはずも無い。
上半身だけ起こしてみれば、ベットスプリングが妙な沈み方をしているのに気づいた。太ももからつま先にかけて妙な影も映っている。

「なんだ、夢じゃなかったんだ。そっか。そうだよね、あれだけリアルだったもんね、夢だった方がおかしいよね。そうか、」

私の隣には静雄が眠っていた。一人用のシングルベッドの隅っこで大きな身体を縮こませながら。彼は少し唸ったかと思うと眼をぱちり、と覚ました。

「お早う、静雄。来てくれたの夢じゃなかったんだね。おまけに寝ちゃってるし」

そう笑って言ってみせるとあまり回ってないであろう思考回路を静雄はめぐらせたようだ。

「そりゃあ、な。あんな涙流しながら必死そうに『好きだよ』なんて言われた日にゃ置いて帰るなんて白状すぎんだろ」

ああ、もう愛しすぎる。一気に仕事の億劫さなんて吹き飛んだ。このまま朝を楽しんでいたけれどそういうワケにもいかなそうだ。寝転がったままの静雄に一つ、感謝と愛しさを込めてキスを贈る。本当は直ぐに離す予定だったのに静雄は私の頭を大きな手のひらで固定した。



そして少し遅れて鳴り始めた時計のアラームが一日の始まりを告げた。