A frozen sigh
「門田さん、寒いですねえ」
「そうだな」
「今年で何度目の冬を一獅ノ迎えるんでしょうね」
「さあな」
全く、ロマンチックも何もあったものじゃない。だけれど、いつものようにぶっきらぼうに返事をする門田さんの横顔は変わらず男前だ。惚れてしまった手前引くわけにも行かなくて、かれこれ大学時代からずっと門田さんの後ろをついて回っている。お陰でというかなんというか、遊馬崎さんや狩沢さん、戸草さんと知り合えて無事に楽しい日々を送れている。…実際のところは、門田さんに嫌われていないか不安でしょうがないのだけれど。
──、一昨日辺りまで連日のように熱帯夜であったのに、今日といえば秋を飛ばして一気に冬らしくなったように思える。冷え込む空気に私は身を震わせた。池袋のネオンもどこか寒々としていて、ノスタルジックな気分にさせる。寒さで乾く目を保護しようと幾らかの涙が視界を霞めた。余計に、寂しく明かり達が灯っているように思えた。
東急ハンズの横手、車道沿いの歩行者専用道路を延々と二人で歩く。目的地なんて無かった。遊馬崎さんと狩沢さんの買い物が終わるまでの散歩。二人ともずっと買い物してればいいのにと密かに願った。時々車と一獅ノ運ばれてくる風が七分までしかない私の洋服から先の素肌を冷やした。身震いしていると、少し前を歩いていた門田さんが振り返りつつ言った。
「、寒いか?」
「大丈夫ですよー、門田さんばっかり暖かい格好してていいなとか全然思ってないですから気にしないでください」
「ああ、お前がそう言うのなら俺は気にしねえ」
…こういう時にはさ、『強がってないでほら、これ着とけよ』とかなんとか、自分の着てるものを脱いで着せてあげる…とかないんですかね?いいですよと返そうとしても、『俺は寒くないし、お前に風邪を引かれても困るしな』って言って、わあ…このジャケット、門田さんの温もりが…、みたいな展開を私はちょっとばかり期待したのだけれど…門田さんだしそうならないのは当たり前…か。
短い横断歩道に似つかわしくない信号機が点滅しているのが見えた。対岸との距離は数歩だとはいえ、少し前を歩く門田さんが立ち止まった手前、私だけ先に行く事もできない。隣に立って門田さんを見上げる。視界の端を車が通りすぎていく。不意のデジャヴ。昔も門田さんと並んで此処で信号待ちをしていて、彼を見上げていたような気がする。
いいや、していた。数年前の今日みたいな冬が始まりかけた日、私が『門田先輩』から『門田さん』と呼び方を改めた日のことだった。
大学生と言っても、もう成人して幾らかの日にちを過ぎた頃だった。私は友人と喧嘩をして、憂さ晴らしにと門田さんを誘って飲みに行ったその日、酒も程よく回っていて制御が利かなくなってしまっていたらしい。帰り際、この横断歩道の前で確かに門田さんに”好き”だと言ってしまった。…門田さんの返事は無かった。後に酔いも覚めてハッと自分のした事を思い出したのと同時に、私たちの関係が気まずくなってしまうかと恐れていたが、私の心配とは裏腹にその後は門田さんも何も言ってこなかった。それをいい事に、私は酒が入っていてその日を覚えてなかったという事にした。それでも、少し気づいて欲しくて、告白した日に『門田さん』と呼び始めてからずっと、今に到るまでその名前を呼んでいる。
「門田さん、昔私がこの横断歩道の前で私が言ったこと、覚えてます?」
「…いつの話だ?」
「ほら、私が成人して…初めて門田さんと飲みに行った時の…」
そこまで言うと門田さんの表情が急に険しくなった。私はまた門田さんの気に障る事を言ってしまったのかと、背筋が寒く感じた。外気との寒さとはまた違う、内面的な寒さにひたすら耐えていた。門田さんに嫌われたくない、と必死で取り繕おうとするが言葉が出なかった。ただ、唇を固く結んで俯いた。門田さんに先に歩いて欲しくなくて門田さんの上着の右袖を摘むように握る。
「…お前、酔って忘れたとか言ってたけどよ、本当は──」
「…すみません、覚えてます。今でも、はっきりと」
あの時、私が告白してしまったことで修復できないような関係になってしまうならば、私が忘れたフリをすれば良かったと思いそれを実行したこと、それから──今このタイミングでそれを掘り返したのはほんの出来心で、門田さんが覚えているとは思ってなかった事を話した。「お前な、」いつも通り遊馬崎さん達にするように、私に呆れ半分のため息をつかれた。
「悪ィが俺だって記憶力が悪いほうじゃないんでな。ほんの数年前の事くらい覚えてる。
…まあ、あの事は忘れるに忘れられねえって言った方が正しいかもな。この際は別にが、あの事を忘れてようが忘れてまいが関係ねえ。重要なのは…そうだな、お前が俺のことを今、この時点でどう思っているかだ」
そんなの決まってる。ずっと、何年も好きだった相手を今一瞬で嫌いになることなんて出来るだろうか。よっぽど、故意的に門田さんが私に嫌われるようなことをしない限りこの想いは変わらない。もしかしたら、それすらも受け入れてしまうくらい私は門田さんが好きだ。誰かの隣にずっといたいと初めて想った相手なんだ。
シラフでは勇気が出なかったけれど。好きだと言える勇気も、私が告白するのに必要な自信も何も無いまま、ずっと大学の先輩後輩の関係を続けていた。それでも、今は門田さんが答えを求めている。私に、一人の女として答えを求めている。自信も何も関係ない。門田さんが、知りたいと思うなら、答えるまでだ。
「好きです、今でも、ずっと…」
本当はもっと言いたいことがあったのに、脳内で混線が起きているらしく、たった3単語しか門田さんに伝えることが出来なかった。模範解答には程遠い、簡素な答え。本来なら、花丸なぞつけがたい答えだっただろう。こんな重要な場面だというのにはっきり、相手の目を見て伝えることが出来ないなんて、情け無いのにも程がある。ずっと好きでいていいですか、隣にいさせてくれませんか…もう少し飾った言葉なんていくらでもあるのに。いつでも想っていた事を口に出すだけなのに、…難しい。
「奇遇だな、俺も今お前に対してどう思っているか聞かれたらそう答えるだろうよ」
「え?」
その言葉に勢い良く頭をあげると、丁度私の頭を撫でようとしていた門田さんの手が空中で止まった。大きな手は私の目の横を通りすぎると、そのまま頬へと手は伸びた。門田さんは目線を一旦逸らして、咳払いを一つする。すると、一気に今まではどうしても縮まなかった門田さんとの距離が一気にゼロになる。頬と、唇、たった二点だけにしか門田さんは私に触れていないのにそれ以上の熱が冬の寒さをかき消した。
「かどた、さん」
「本当にちっさいな、お前。こうしてねえと、どっかに行っちまいそうだ」
今度は私の手を取ると、その大きな手のひらで優しく包んだ。信号は二度目の点滅を迎えていた。
今度こそ渡り損ねないようにと、門田さんは私の手を引いて歩く。今度は、後ろからじゃなくて、隣で。大きな門田さんの歩幅に追いつこうと少し早歩きになりながら。でも、門田さんの顔が良く見える。照れて、耳が少し赤くなってる門田さんが。